・「笠置」について ・「笠置」の要目 ・「笠置」の艦歴 ・参考文献
航空母艦「笠置(かさぎ)」は、大東亜戦争に於ける日本海軍の正規航空母艦(空母)である。 建造工事が途中で中止され、未完成に終わった。
「葛城」は、昭和17年(1942年)9月に策定された改D計画に於いて計画された雲龍型航空母艦の四番艦であった。昭和18年(1943年)4月14日、長崎県の三菱重工長崎造船所で起工され、昭和19年(1944年)10月19日に進水、昭和20年(1945年)4月1日に工事が中止された。工事進捗は84%であった。
昭和16年(1941年)11月に策定された昭和十六年度戦時建造計画では、中型航空母艦1隻(後の「雲龍」)が計画されていたが、昭和17年(1942年)と昭和18年(1943年)に竣工予定の正規空母は1隻も無かった。そして、同年12月8日に大東亜戦争が開戦し、半年後の昭和17年(1942年)6月、ミッドウェー海戦に於いて、日本海軍は主力正規空母4隻(「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」)を喪失、これを補う為の空母の増産が急務となった。 そこで、昭和16年(1941年)に策定された第五次海軍軍備充実計画(D計画)を、昭和17年(1942年)9月に改D計画として改定、新たに雲龍型空母15隻の建造を計画した。雲龍型空母は量産性の高い戦時急増型空母で、比較的建造しやすく性能的にも充分であった中型空母「飛龍」を原型とし、小改良が加えられていた。また、量産性を高める為に構造の一部が簡略化されていた。 昭和17年(1942年)中には、雲龍型空母の一番艦〜三番艦(「雲龍」「天城」「葛城」)が起工、約2年後の昭和19年(1945年)8月〜10月に竣工した。続いて、昭和18年(1943年)4月14日、長崎県の三菱重工長崎造船所に於いて、改D計画の第5004号艦である雲龍型空母の四番艦(後の「笠置」)が起工した。
しかし、各地の海軍工廠や造船所では、連日の戦闘による損傷艦の修理や、駆逐艦や海防艦の建造が優先され、更に、資材や労働力の不足が深刻になっていた。その為、「笠置」の工事は遅れがちとなっていた。また、搭載予定の機関の調達が困難になり、改鈴谷型重巡の機関を搭載した。そして、起工から約1年半後の昭和19年(1944年)10月19日に「笠置」は進水した。
併しながら、「笠置」が進水した昭和19年(1944年)10月時点では、6月のマリアナ沖海戦と10月のレイテ沖海戦によって日本海軍連合艦隊は事実上壊滅しており、以後、組織的な艦隊行動が行われる見込みは無かった。また、航空機や搭乗員の不足によって母艦飛行隊再建の目処もたたず、先に竣工していた同型艦「天城」「葛城」は、載せる飛行機もないまま、広島県の呉軍港外に繋留されたままであった。更には、燃料事情の逼迫によって艦を動かす燃料にすら事欠く状態だった。
進水後の「笠置」は艤装作業が続けられていたが、昭和20年(1945年)4月1日、遂に工事の中止命令が出された。作業進捗84%の状態であった。未完成の「笠置」は、長崎県の佐世保軍港付近の恵美須湾に回航されて放置された。そして、8月15日、工事が再開される事もないまま終戦を迎えた。 その後、昭和21年(1946年)9月1日に長崎県の佐世保海軍工廠で解体が開始され、昭和22年(1947年)12月31日に解体が完了した。
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<計画時:昭和19年(1944年)> 基準排水量:17460トン 公試排水量:20120トン 満載排水量:22800トン 全長227.4m 水線長:223m 全幅:22m 喫水:7.86m 飛行甲板全長:216.9m 飛行甲板全幅:27m 主機:艦本式オールギヤードタービン4基 缶:ロ号艦本式重油専燃缶8基 出力:15万2000馬力 燃料:3670トン(重油) 最大速力:34.ノット 航続距離:18ノット・8000海里 搭載機数:常用機51機・補用2機(計画) 艦戦 常用18機・補用2機 (艦上戦闘機「烈風」) 偵察 常用6機 (艦上偵察機「彩雲」) 艦攻 常用27機 (艦上攻撃機機「流星」) 搭載航空兵装:800キロ爆弾72発・250キロ爆弾240発 60キロ爆弾260発・30キロ爆弾144発・魚雷36本 着艦制動装置:空廠式三年式一〇型4基12索 着艦制止装置:空廠式三年式一〇型3基 兵装:12.7センチ連装高角砲6基12門 (四十口径八九式十二糎七高角砲) 25ミリ三連装機銃21基63挺 (九六式二十五粍高角機銃) 25ミリ単装機銃30基30挺 (九六式二十五粍高角機銃) 12センチ28連装噴進砲6基168門 二号一型電探2基・一号三型電探1基 乗員:1556名
昭和18年(1943年)4月14日:三菱重工長崎造船所(長崎県)で起工。 昭和19年(1944年)9月5日:軍艦「笠置」と命名。 昭和19年(1944年)10月19日:三菱重工長崎造船所(長崎県)で進水。 昭和20年(1945年)4月1日:工事進捗84%で建造中止。 昭和20年(1945年)4月25日:佐世保軍港(長崎県)外の恵美須湾に回航。 昭和20年(1945年)8月15日:未完成で終戦を迎える。 昭和21年(1946年)9月1日:佐世保海軍工廠(長崎県)で解体開始。 昭和22年(1947年)12月31日:佐世保海軍工廠(長崎県)で解体完了。