上野周辺

東京都

東京都の戦跡
大東亜戦争における東京都の歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

東京都の戦跡

上野周辺

上野周辺 上野周辺

国立科学博物館
   展示内容詳細はこちら
言問橋

「国立科学博物館」

国立科学博物館 国立科学博物館 上野公園内にある博物館である。展示内容は科学全般に渡り、床面積7.05万平方メートルと規模は大きい。明治4年(1871年)1月が創立であり、現本館が落成したのは昭和5年(1930年)12月である。(←)

博物館入口付近の屋外にD51型231号蒸気機関車が展示されている。この車両は昭和14年(1939年)7月に製造され、日本国内で1975年まで使用された。走行距離は約216万kmにおよぶ。(→)

国立科学博物館 国立科学博物館 博物館は日本館と地球館に分かれている。地球館の2階に「零式艦上戦闘機二一型(零戦21型)」、および日本の航空史に関するものが展示されている。(←)

地球館の2階は日本の技術の進歩に関する展示である。古くはカラクリ人形から、航空技術の他ロケットなどの展示もある。(→)

展示内容詳細はこちら

・零式艦上戦闘機二一型(零戦21型)
・日本初の動力飛行
・ニッポン号
・橘花とネ-20


「国立科学博物館」の歩き方

国立科学博物館 上野公園内である。JR上野駅公園口から徒歩5分。駅出口から道を渡って直進し、右手の国立西洋美術館を回り込むように右折してしばらくのところ、右手側に入口がある。入口には蒸気機関車が展示されている。また、近くに国立博物館という似た名前の博物館があるので注意。

また、JR鶯谷駅からでも距離は同程度のようである。

入場料:600円
開放時間:09:00-17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)、年始年末、特別展開催中は変更あり
HP:http://www.kahaku.go.jp/
(2011年現在)

ページ先頭に戻る

「言問橋」

言問橋 言問橋 言問橋は隅田川(東京都)に架かる橋の一つである。国道6号線・都道319号線が通り、片側2車線の大きな橋である。橋長236.8メートル・幅員22.0メートルで西の台東区・東の墨田区を結ぶ。付近には隅田公園、浅草寺などがある。(←)

大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災の被害を受け、政府は帝都復興院(後の復興局)を設置、「帝都復興事業」を推進した。言問橋は「帝都復興事業」の一環として大正14年(1925年)5月着工、昭和3年(1928年)2月10日竣工した。プレートに「復興局」の文字が読み取れる。(→)

言問橋 言問橋 川端康成は著書である「浅草紅団」(昭和5年)の中で、「隅田川の新しい六大橋のうちで、清洲橋が曲線の美しさとすれば、言問橋は直線の美しさなのだ。清洲は女だ、言問は男だ。」と、言問橋ついて触れている。

言問橋の橋の名前の由来は諸説あるが、在原業平の詠んだ「名にし負はば いざこと問わはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」という歌に因む、という説が有力である。

言問橋 言問橋 言問橋の周辺の隅田川両岸には隅田公園がある。西岸(台東区)は吾妻橋から橋場までで遊歩道が主体、東岸(墨田区)は言問橋から向島までで桜並木の映える公園である。(←)

総面積約19ha、防災避難地を兼ねた公園である。この隅田公園も震災復興計画の一環として昭和6年(1931年)に設置された。

昭和20年(1945年)3月10日、米空軍による東京大空襲において、言問橋周辺を含む東京下町地区は無差別絨毯爆撃にさらされた。(→)

言問橋 言問橋 言問橋には炎に追われた多くの一般市民が集まり、結果、非戦闘員である一般市民が多数犠牲になるという悲劇の場所となった。(←)

現在は、当時の出来事を記憶するものとして橋の支柱・戦災慰霊碑がひっそりと残されている以外、付近には当時の面影はまったく無い。(→)

言問橋 言問橋 慰霊碑の横には東京大空襲と、この碑の設立の経緯を説明する看板がある。この場所で亡くなった大勢の一般市民の無念を思えば、この歴史的事実を風化させずに後世に残していかなければならないだろう。(←)

平成4年の改修工事の際に、切り取られた支柱の一部が戦災慰霊碑のそばに置かれたが、現在も空襲当時の支柱の一部が言問橋に残っている。支柱の黒いシミは空襲の際に焼死した人の遺体から流れ出た脂のシミである。(→)

「言問橋」の歩き方

言問橋 言問橋 台東区浅草のランドマークである浅草寺の雷門から、雷門を左手に見て進む(東進)すると、吾妻橋交差点を過ぎて隅田川にぶつかる。なお、東武伊勢崎線、都営浅草線、東京メトロ銀座線浅草駅からはこのあたりに出る。ちょうど浅草水上バス乗り場(東京観光汽船)があり、対岸にはアサヒビール吾妻橋ホールの特徴的なオブジェが見える。

言問橋 ここから隅田公園が北に延びているので、公園の遊歩道沿いに隅田川西岸を北上する。東部伊勢崎線の高架をくぐって更に進むと言問橋が見えてくる。

言問橋の西岸の北側、隅田公園の木陰に戦災慰霊碑がある。

ページ先頭に戻る

戦跡の歩き方TOP」へ戻る>> 「大東亜戦争遺跡」へ戻る>> 「日本」へ戻る>> 「東京都」へ戻る>> 「上野周辺

Copyright(C)悠久の沙羅双樹
inserted by FC2 system