神奈川県

神奈川県

神奈川県の戦跡
大東亜戦争における神奈川県の歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)
横須賀

・三笠公園、記念艦 三笠
・米海軍横須賀基地

神奈川県の戦跡 神奈川県は東京都のすぐ南に位置し、東京湾の西側に突き出た三浦半島を県域に持つ。県の人口は約906万人で東京都に次いで第2位、横浜市は約369万人で市(区)人口として東京23区に次いで第2位である(2011年)。また、政令指令都市を県内に3都市(横浜市、川崎市、相模原市)も持つのは神奈川県のみである。しかし、神奈川県内の都市で最も軍と関係が深かったのは三浦半島に位置する横須賀市であろう。

横須賀の軍港としての歴史は江戸時代にさかのぼる。江戸幕府はフランスの技術を導入して大型艦用の造船所の建設を計画した。フランス公使のレオン・ロッシュの協力を得て、建設地はフランスのツーロン軍港に地形の似ていた横須賀に決定された。船渠2、船台3とその他付属施設を持つ造船所として設計され、ツーロン軍港がモデルとされた。1864年に海軍技師レオンス・ヴェルニーを招いて「横須賀製鉄所」の工事が始まった。1878年の明治維新で建設は明治政府に引き継がれたが、このとき船渠1、船台2がほぼ完成していた。1871年(明治4年)に海軍省に移管され、「横須賀造船所」と改称された。

その後、1903年(明治36年)の海軍工廠条令で横須賀海軍兵器廠と合併し、「横須賀海軍工廠」となった。なお、このとき呉、佐世保、舞鶴海軍工廠も創設された。横須賀海軍工廠は1909年(明治42年)に初の国産戦艦「薩摩」を竣工させ、その後も大東亜戦争での主力艦となる多数の軍艦を建造した。代表的なものでは戦艦「山城」「陸奥」、巡洋戦艦「比叡」、空母「飛龍」「翔鶴」などがある。

神奈川県の戦跡 昭和7年(1932年)には航空機部門が独立し、「海軍航空廠」となった。海軍航空廠は航空兵器の実験や研究、調査を行っていた。また、多数の実用機の設計も手がけた。航空廠が手がけた機体は技術的に先進的なものが多かったが、それだけに運用困難なものや生産効率の悪い傾向があったようである。例えば、航空廠が設計した艦上爆撃機「彗星」は、液冷発動機を装備した高性能な機体であったが、当時の日本の整備部隊は液冷発動機を扱った経験が乏しく整備が難しく稼働率は低かった。

大東亜戦争後半、戦局が悪化し米軍が本土に迫ると、各都市に空襲が行われるようになった。本土空襲は昭和19年(1944年)末頃から激化し、日本の大都市は焦土と化し、多くの中、小都市も爆撃された。横須賀海軍工廠も昭和20年(1940年)7月18日に米軍艦載機約300機の空襲を受けた。しかし、大規模なものはその1回だけで、重要な軍事拠点であった割には空襲の規模も回数も少なかった。

これは呉海軍工廠が複数回の空襲を受けて在舶艦や工廠施設が徹底的に破壊されて軍港としての機能を失ったのとは対照的である。アメリカ側には、日本占領後に横須賀を艦船の修理などに利用しよう、という思惑があったようである。実際、終戦後は横須賀海軍工廠は米軍に接収され、横須賀海軍施設(通称横須賀基地)となった。艦船建造はなく、艦船の修理等が行われている。現在も米第7艦隊所属艦の事実上の母港となっている。

神奈川県の戦跡 横須賀基地のすぐそばにある三笠記念公園には戦艦「三笠」が保存されている。「三笠」は、大日本帝国海軍艦敷島型戦艦の四番艦(同型艦:敷島・初瀬・朝日)である。奈良県にある三笠山にちなんで命名された。日露戦争において連合艦隊の旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎中将(当時)らが座乗した。

明治38年(1905年)5月27日〜28日、日本海軍連合艦隊は対馬東沖において、ロシア海軍バルチック艦隊と交戦、世に言う「日本海海戦」である。「日本海海戦」において東郷平八郎連合艦隊司令長官は座乗する「三笠」艦橋に於いて艦隊を指揮、敵艦隊前面で一斉回頭する「丁字戦法」(敵前大回頭)を実施し、バルチック艦隊を遮断した。更に、猛訓練によって培った正確な射撃によって連合艦隊の射弾は次々とロシア艦に命中した。海戦発生からわずか30分でバルチック艦隊主力は戦闘力を失い大勢は決した。この大勝利は日露戦争終結への大きなきっかけとなり、日本を未曾有の国難から救うと共に、日本に平和と繁栄をもたらした海戦であった。

「三笠」は大正11年(1922年)ワシントン軍縮条約によって廃艦が決定したが、国民に愛された「三笠」の保存運動が起こった。日本側の要望に対し、現状に復帰できない状態にすることを条件に保存は認められた。船外の外周部が砂で埋められ、船内の下甲板にコンクリートが注入されて大正14年(1925年)に工事は完了した。戦後は一時荒廃した状態となっていたが、現在は復元されて一般公開されている。

神奈川県の交通情報

横須賀中心部にはJR横須賀線横須賀駅と京浜急行本線横須賀中央駅があり、横浜からは40分程度である。

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