・ノースドック ・カドブス島とカドブス橋跡 ・トーチカ(小) ・千人壕 ・トーチカ(大) ・九〇式野砲 ・水戸山電探台
・小学校門柱 ・電信所跡、カシ陣地跡地 ・慰霊碑群 ・LVT(A)-4
・ペリリュー第二次世界大戦記念博物館
(Peleliu World War II Memorial Museum)
・発電所跡
・海軍司令部跡
・LVT(A)-2、LVT(A)-4
・LVT-4
・九五式軽戦車
・飛行場指揮所跡
・ペリリュー飛行場滑走路
・三十四会看板、モミ陣地跡 ・ホワイトビーチ、イシマツ陣地跡 ・珊瑚丘陣地跡 ・イワマツ陣地付近の九五式軽戦車 ・オレンジビーチ、米第81師団記念碑
・高崎湾のトーチカ、九四式三十七粍速射砲
・零式艦上戦闘機(零戦)
・水陸両用トラック
・サウスドックの桟橋跡
・無名島の飛行機の残骸
・中崎
・ペリリュー平和記念公園
(PELELIU PEACE MEMORIAL PARK)
・掩体壕 ・F6F(ヘルキャット)の残骸 ・M4中戦車(シャーマン) ・山中の壕
ペリリュー島はパラオ諸島を構成する島のひとつであり、南北約9km・東西約3kmと南北に細長い形をした島の面積は13kuである。パラオ共和国の中心地であるコロール島からは南に約50km、アンガウル島からは北東約10kmである。周囲を珊瑚礁に囲まれており、島自体も珊瑚礁で出来ている。中央部に海抜80m〜90mの切り立った岩山が幾つかあるが、島のほとんどは平坦である。
現在の人口は約500人、そのほとんどが島の北部の狭いエリアに居住している。戦前は南部の平坦地に住宅地が分布していたようであるが、飛行場建設などに伴って住宅地が移転し、また戦争中に南部が激しい戦闘で廃墟となってしまったため、戦後の新しい町は北部にできたようである。
昭和15年(1940年)5月、ペリリュー島南部の平坦地に1200mの滑走路2本をもつ日本海軍の飛行場が完成した。パラオ諸島のほとんどの島は火山島を起源とする起伏の激しい地形であるが、ペリリュー島は飛行場の運用に適した平坦な島だったのである。これは昭和16年(1941年)10月23日に完成したマリアナ諸島
テニアン島の「牛飛行場(ハゴイ飛行場)」と並ぶ、南洋諸島最大規模の日本軍飛行場であった。また、コロール島周辺も港湾や水上機基地などの整備が進められ、パラオ諸島は日本海軍の根拠地としての色合いを濃くしていった。
戦局が日増しに悪化していくなか、昭和19年(1944年)9月15日、ついにペリリュー島に米軍の上陸が開始された。この日、ペリリュー島に殺到したのは米第1海兵師団の精鋭約21000名、これに対して中川大佐以下約10000名の守備隊は猛烈な反撃を実施した。特に、水際陣地における守備隊の反撃は凄まじく、米軍は大きな損害を出し、何度も撃退された。海岸は彼我の将兵の遺体で埋まり、砂は血で染まったという。
しかし、圧倒的な兵力で押寄せる米軍は遂に橋頭堡を確保、内陸に向けて進撃を開始した。中川大佐はかねてより構築していた複郭陣地に拠って持久戦を展開した。守備隊の残存兵力は山岳地帯の地形を利用して米軍の進撃を阻んだ。米軍は当初、3〜4日での攻略を考えていたが、守備隊の勇戦は実に2ヶ月以上に及んだ。その間、あまりの損害の多さに米第1海兵師団が撤退、換わって米陸軍第81歩兵師団が到着、投入された米軍兵力は実に40000名近くに上った。
しかしながら、孤立無援で戦う守備隊将兵は次々と斃れ、その最期の時も迫っていた。昭和19年(1944年)11月24日16時、ペリリュー地区隊司令部の中川大佐からパラオ集団司令部に、予め取決めてあった暗号電文が届いた。 「サクラ・サクラ」・・・それはペリリュー島守備隊将兵からの最期の別れの言葉であった。
パラオ人は概ね親日的である。国旗は日の丸に似たデザインであり、日本語風の名前を持つ人も多い。住民の戦争被害が比較的小さかったことが、戦後反日にならなかった要因の一つであると思われる。特にペリリュー島では戦闘前に島民をパラオ本島に避難させ、日本人だけが残って戦い玉砕したのである。
アンガウル島から生還した舩坂弘氏の著作「サクラサクラ(1966年)」には以下のエピソードが載っているそうである。
ある老人が若い頃日本兵と仲良くなり、戦況が日本に不利となった時「一緒に戦わせて欲しい」と日本兵隊長に進言したが「帝国軍人が貴様らなどと戦えるか!」と激昂され、見せ掛けの友情だったのかと失意の中島を離れる船に乗り込んだ。が、船が島を離れた瞬間その隊長を含め日本兵が手を振って浜へ走り出てきた。老人はその時、隊長が激昂したのは自分達を救う為だったと悟ったという。
現在も島内には「九五式軽戦車」や「零式艦上戦闘機」のほか各種銃砲類が大量に遺されている。また、おびただしい弾痕の残る司令部跡などの建物は戦闘の激しさを物語っている。島内に遺る500を超える洞窟陣地には未だに当時の遺品が散らばっている。これらの戦闘の痕跡は全く整備されていないものが多く、生々しいリアリティーがあるのがペリリュー島の戦跡の特徴である。
日本からパラオ国際空港までの主要なルートは4つあるが、それぞれ特徴がある。
@コンチネンタル航空でグアム乗り継ぎ
このルートが最も一般的であろう。成田、中部、関西、福岡からグアムに毎日運航しており、千歳、仙台、新潟、岡山、広島からも週2〜4便運航している。
グアムからパラオは毎日運航(週3便はヤップ経由)。
日本からグアムまでは約3時間半、グアムからパラオは直行便の場合は約2時間のフライトである。
日本をお昼前後に出発し、グアムで2、3時間トランジット待ちをして夕刻にパラオに向けて出発し、夜に到着する便設定になっている。
帰国便は深夜にパラオを発ち、早朝にグアムで乗り継ぐ便設定となっている。
A日本航空の直行チャーター便
大都市を中心とした日本各都市からパラオに直行便があり、乗り換えなしで5時間程度で到着する。
ただし、不定期で出発、到着日が限られており、泊数を選ぶことができない。航空券のみの販売はない。
B中華航空で台北乗り継ぎ
航空運賃がかなり安い。しかし、台北−パラオ間が週2便しかなく、空席を取るのが困難である。他にもアシアナ航空がソウル乗り継ぎの便を運航している。
Cデルタ航空の直行便
2010年12月から就航した。成田から直行便が週4便である。
パラオへの旅行は通常は航空券とホテルがセットになったツアーが総額代金、予約等の手間を考えると最も良いだろう。ツアーの方が航空券とホテルを別に買うよりも安い。ツアー会社に希望の出発・帰着日で申し込めば、航空券・ホテルの両方を用意してくれるので手間も少ない。さらに、空港とホテル間の送迎も付いているため、重い荷物を持って公共交通機関を探す必要がなく便利である。
ツアー会社は各社共に特徴があるが、大別すると格安ネット系、旅行代理店系の2種類がある。
「H.I.S
」や「てるみくらぶ
」などの格安ネット系の特徴は、何と言っても代金が安いことである。「てるみくらぶ
」のパラオツアーの一覧、空き状況は以下のページに飛べは直接確認できる。
「てるみくらぶ」のパラオツアー:http://www.tellmeclub.com/tour/area_search.php?as_id=10&PHPSESSID=olehthuu6thtrdc6bpn1gkdo37
ゴールデンウィーク、お盆、年始年末のピークシーズン、およびその前後のショルダーシーズンの値段は閑散期であるベーシックシーズンよりも高くなる。ベーシックシーズンでは4日間のツアーが70,800円+燃油チャージ19,000円=89,800円から用意されている。
「JALパック
」や「日本旅行
」などの旅行代理店の特徴は、サービスや対応がしっかりしていて安心感があることである。特に「JALパック
」では日本航空の便を使っており、空港からホテルへの送迎も日本語を話せるスタッフがホテルまで案内してくれ、ホテルも日本語が話せるスタッフを用意しているところが多い。その分若干価格帯は高めのツアーが多いが、語学力が不安な旅行者には心強いだろう。また、決済にマイルを使うこともできる。「JALパック
」のパラオツアーの一覧、空き状況は以下のページの左側の世界地図の「グアム・パラオ」の項目をクリックすることにより確認できる。
「ジャルパック」のツアー旅行:http://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=1TZ5JE+AWCOFM+2CJ2+5YJRM
閑散期のベーシックシーズンでは燃油サーチャージ込みで119,800円からのツアーが用意されている。
通常はツアーの方が安いが、旅行期間が長めの場合は航空券のみを購入する方が安くなる場合がある。いわゆる一般的な観光ホテルではなく、安宿を探すのである。空港から宿までの移動手段を自分で確保する必要があるが、そのあたりを気にしない旅行者には有効な手段である。航空券の予約は「楽天トラベル
」が各航空会社のものを取り揃えており検索の利便性が高いだろう。
「楽天トラベル」のグアム行き格安航空券:http://travel.rakuten.co.jp/air/pw/ror_tyo.html
最も安いものではデルタ航空の航空券30,000円+燃油サーチャージ21,100円+空港施設使用料2,600円=50,700円から用意されている。しかし、安いチケットは早く売切れてしまうので入手困難である。
パラオにはネットのホテル検索やガイドブックに載っていない安宿がある。これらを活用すれば安く長期滞在することができる。その中の一つが「D.W.モーテル」である。
D.W.モーテル:http://www.palaudwmotel.com/jp.html
Eメール:palau7796768@yahoo.com.tw
部屋はシングルルームが一部屋45ドル、ダブルルームが55ドルである。予約はEメールで行うことができる。
安い航空券を確保するのは困難だが、確保できれば安宿に泊った方が総額は逆に安くなる可能性があり、検討に値する。
コロール−ペリリュー間には州政府が運航する貨客船があるが、週3便程度の不定期路線である。時間は頻繁に変更されるので、直前にホテルなどからState Officeに電話をしてもらってスケジュールを確認するのが良いだろう。
片道4ドルで予約は不要。所要時間は2時間半程度である。
以前はベラウ航空が小型機によってほぼ毎日運航を行っていたが、現在は閉業している。そのため、現在のペリリュー島への公共交通機関は貨客船しかなく非常に行きにくい場所となっている。
ダイビングショップの「マーメルダイバーズ」はコロール−ペリリュー間の移動のみを片道40ドルで扱っている。ただし、ダイビングツアー等でボートの移動があるときに便乗できるのみであり、ボートの移動がないときは乗ることができない。スピードボートで移動自体は1時間程度だが、途中ダイビングをしながら移動するために時間がかかる。ボートのスケジュールはコロール島の「マーメルダイバーズ」の営業所で確認できる。
マーメルダイバーズ
http://www.mamldivers.com/mt/index.html
ペリリューダイバーズ
http://www.dolphinbay-resort-peleliu.com/jpn/index.html
コロールから往復の移動手段を心配せずに戦跡を回るには、戦跡ツアーを利用するのが最も良いだろう。朝にコロールを出発してガイドに戦跡を案内してもらい、夕方にコロールに戻るツアーがある。Alan1.net
ではオプショナルツアーという形で戦跡ツアーのみを単品で申し込むことができる。
Alan1.net:http://www.alan1.net/
上記のページの左上の「検索」というところに「ペリリュー」と打ち込むと「ロックアイランドカンパニー」と「インパックツアー」という現地会社のオプショナルツアーが表示され、ここからオンラインで申し込むことができる。
両方1人120ドルである。
ペリリュー島の戦跡を見学するためには、島上陸後に州政府事務所で「ランドツアーパーミット(LAND TOUR PERMIT、右上写真)」を5ドル/日、あるいは12ドル/週で購入して携帯しなければならない。島内にはパトロールが巡回しており、提示を求められることがある。
島内にはレンタカーやタクシーがない。ダイブショップや売店でレンタサイクルを10ドル/日で貸し出しているところがあるので、これが島内の主要な移動手段となる。
なお、左下写真の店は州政府事務所から南へ100mほどの「アイランドテラス」1階の売店であり、ここでも自転車を貸し出している。島の北端から南端まで自転車で走ると45分程度である。
島内には2件のレストランしかない。「イエローヴォールレストラン(右下写真)」は「マーメルダイバーズ」のツアー客の宿泊がある場合しか営業していないようである。右写真の「ジャルバーズサンセットバー&グリル」もホテル付属のレストランであるが、宿泊客が多いためほぼ毎日営業のようである。しかし、宿泊客でない場合、夕食は当日午後4時までの予約が必要である。
(2010年現在)