短十二糎砲・短二十糎砲(短12cm砲・短20cm砲)

「短十二糎砲・短二十糎砲(短12cm砲・短20cm砲)」

「短十二糎砲・短二十糎砲(短12cm砲・短20cm砲)」とは

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「短十二糎砲・短二十糎砲(短12cm砲・短20cm砲)」とは

「短十二糎砲・短二十糎砲(短12cm砲・短20cm砲)」は大東亜戦争後半に使用された日本海軍の高角砲である。

「高角砲」とは

所謂「高角砲」とは、大きな仰角(上向きの角度)を取ることがが可能な火砲をさす。
一般的に、火砲が大仰角を取ると言う事は、砲身(砲口)を上に向けると言う事とであり、必然的に砲弾を上空に発射する事になる。

火砲が、砲弾を上空に発射する目的は、上空に目標が存在するからであり、それは航空機に他ならない。
即ち、「高角砲」は、大きな仰角で砲弾を発射し、上空で砲弾を炸裂させる事で航空機の撃墜狙った、対空射撃が目的の火砲であるといえる。
実際、「高角砲」の殆どは対空射撃に使用する火砲である。

併しながら、火砲が大きな仰角で砲弾を発射するのは、対空射撃のみとは限らない。
砲弾を山なりに発射(曲射)して、地上にある目標の頭上から砲弾を落下させる事を目的とした射撃が行われる場合がある。。砲弾を曲射する事で、周囲を遮蔽された陣地に潜む敵に損害を与えたり、対潜弾を投射して、海中のの潜水艦の制圧が可能となる。この様に、火砲には、通常の射撃以外に、大仰角を取った射撃(曲射)が求められる場合があり、対空射撃を目的としない火砲でも、大きな仰角を取る事が出来る火砲を、広義の「高角砲」と呼ぶ場合がある。

ただし、「迫撃砲(曲射砲)」「臼砲」は砲弾を山なりに発射するが、初めから砲身が大きな仰角を持っており、その仰角はほぼ固定である。従って、砲弾を水平に発射(平射)することは出来ない為、特に「高角砲」とは呼ばない。

因みに、「高角砲」とは日本海軍の呼称であり、日本陸軍では対空射撃に使用する火砲を「高射砲」と呼称した。

「短十二糎砲・短二十糎砲」の概要

「短二十糎砲」 昭和18年(1943年)、日本海軍は商船の自衛用火砲として、「短十二糎砲」「短二十糎砲」を開発した。本砲の開発と開発後の製造は呉海軍工廠が行った。

本砲の開発経緯は、資料が散逸してしまい、定かではないが、戦時の需要に応じる為の急造砲であった。また、大きな仰角を取ることが出来る「高角砲」に分類された。

一般的な「高角砲」は、大仰角で砲弾を空中に発射して、砲弾を上空で炸裂させる事で上空の航空機の撃墜する対空射撃を主目的とする事が多い。

併しながら、本砲が対空射撃を主目的としていた事は考えにくい。
何故なら、本砲は大口径(口径12cm・口径20cm)に比して砲身が短く(12口径)、砲弾は低初速(290m/s〜310m/s)であった。低初速の砲弾では、上空を高速で飛行する航空機に対して有効な対空射撃を行う事は困難である。
また、本砲は砲弾装填時に仰角を約10度にする必要があり、大仰角での対空射撃に於いては、1発撃つたびに仰角を下げて再装填する必要があった。これでは、十分な発射速度が得られず、上空を高速で飛行する航空機に追随する事は困難であった。

「短十二糎砲」 本砲は商船の自衛用火砲として開発されているが、対艦艇・対船舶用の火砲ではなかった。
本砲が主として発射する砲弾は、内部に炸薬を有する所謂「榴弾」であり、「榴弾」は命中・炸裂した際の爆風と破片による被害効果を狙った砲弾であった。
そして、この様な火砲を商船の自衛用火砲として採用したと言う事は、対空射撃若しくは対潜水艦射撃を主目的としたと考えるのが自然である。

砲弾が低初速であり、大仰角時の発射速度が低いと言う事から、対空射撃が主目的であるとは考えにくい。
対潜水艦射撃、即ち、海面に向かって砲弾を山なりに発射(曲射)し、時限信管等によって海中で炸裂させ、付近海面の敵潜水艦を制圧する事が主目的であったと考えられる。

特に、大東亜戦争後半(昭和18年)以降、米海軍の潜水艦の跳梁によって、日本の商船は次々と撃沈され、「南方資源地帯」と日本本土との輸送路や、前線への兵員・物資の補給は危機に瀕していた。日本海軍の海上護衛体制は不十分であり、僅かな護衛艦しか伴わない日本の商船に対して、自衛用の有効な対潜兵器(爆雷等)が必要とされた。

一般船舶である商船は鈍足であり、、対潜任務を主とする駆逐艦・海防艦・駆潜艇の様に素早い爆雷投射によって付近海面を制圧する事が困難であった。そこで、対潜効果のある「榴弾」を山なりに発射(曲射)する事為に、大仰角可能な本砲が開発されたと考えられる。

「榴弾」の曲射が目的であれば、砲弾の初速が低くても問題なく、その結果、短く薄い砲身でもその使用に耐える。火砲の製造に於いては、砲身の工作が最も工数を要する為、砲身の工作が容易な火砲は、急造砲として緊急の需要に応ずる事も可能である。

本砲が使用していた砲弾は、対潜信管や時限信管を備えていた。これは、本砲が主として対潜射撃を目的としていた事を意味する。また、副次的な目的として、低空を低速で飛行する航空機への対空射撃も想定していたと考えられる。

「短十二糎砲・短二十糎砲」の構造
「短二十糎砲」


「短十二糎砲」

本砲の砲身は口径120mm(12口径)、長さ1440mm、重量218kgであった。
砲身内部の旋條(ライフリング)は、溝深さ1.0mm、溝幅11.78mm、右方向に旋回し、砲身内の1127mmに渡って24条切られていた。

閉鎖機は左開きの垂直鎖栓式であった。

俯仰角は+75度(仰角)から−15度(俯角)に俯仰可能であり、手動によって12〜13度/秒で俯仰角を調整する事が出来た。また、方向射界は全周(360度)可能であり、手動によって12〜13度/秒で旋回する事が出来た。

発射速度は7〜12発/分であったが、本砲は、砲弾装填時に砲身の仰角を約10度にせねばならず、大仰角での射撃時は1発撃つ度に仰角を下げて再装填する必要があった。その為、大仰角時の発射速度は更に低下したと考えられる。

「短二十糎砲」

本砲の砲身は口径202mm(12口径)、長さ2438mm、重量630kgであった。
砲身内部の旋條(ライフリング)は、溝深さ1.5mm、溝幅16.61mm、右方向に旋回し、砲身内の1984mmに渡って32条切られていた。

閉鎖機は左開きの垂直鎖栓式であり、閉鎖機の手前には砲弾を装填する際に使用する砲弾架が装備されていた。

俯仰角は+75度(仰角)から−15度(俯角)に俯仰可能であり、手動によって8度/秒で俯仰角を調整する事が出来た。また、方向射界は全周(360度)可能であり、手動によって8.6度/秒で旋回する事が出来た。

発射速度は3〜4.5発/分であったが、本砲は、砲弾装填時に砲身の仰角を約10度にせねばならず、大仰角での射撃時は1発撃つ度に仰角を下げて再装填する必要があった。その為、大仰角時の発射速度は更に低下したと考えられる。


「短十二糎砲・短二十糎砲」の弾薬

「短二十糎砲」 本砲は大きな仰角を取る事が出来、状況に応じて平射・高射(曲射)・対潜射撃(曲射)を行い、各種砲弾を発射した。

本砲には、通常弾(榴弾)・阻塞弾・焼夷弾・焼霰弾・対潜弾・演習弾等、各種砲弾が用意された。
また、弾薬は半固定式(砲弾と薬莢が分離可能)であった。
信管は使用する砲弾や目的に応じて選択された。

 射撃         信管                         砲弾
高射時       「九一式時限信管改一」(「短十二糎砲」)   通常弾・阻塞弾・焼夷弾・焼霰弾
           「零式時限信管」(「短二十糎砲」)
平射時       「対潜信管」「八八式信管ニ型」         通常弾・演習弾
高射・平射時  「四式信管」                     通常弾
対潜射撃時   「対潜信管」                     対潜弾

薬莢は真鍮製で、何れの砲弾に対しても同一形状であった。装薬は「八九式火薬」を使用し、火管(装薬を発火させる装置・薬莢底部に装着)は「莢一号撃発火管四型」を使用した。
薬莢の大きさは以下の通りであった。

「短十二糎砲」:薬莢底直径:148mm、全長248mm、装薬(「八九式火薬」):0.5kg(常装)
「短二十糎砲」:薬莢底直径:243mm、全長280mm、装薬(「八九式火薬」):2.0kg(常装)

実戦に於ける「短十二糎砲・短二十糎砲」

「短二十糎砲」 本砲は、商船の自衛用火砲として開発されたが、相当多数が陸上で運用された。
特に、大東亜戦争後期、本砲は太平洋方面の島嶼に配備され、島嶼防衛に於いて陸上砲台・沿岸砲台の火砲として運用された。

特に、侵攻してくる米軍に対して、重要な戦略拠点となったマリアナ諸島の島嶼(グアム島サイパン島等)にも本砲が配備された。それらの幾つかは現在も遺されている。

グアム島に配備された本砲の写真が遺されている。(→)
米軍がグアム島を占領後に撮影したものであるが、陸上に於ける本砲の様子がよく分かる。周囲はコンクリート製掩蓋で囲まれているが、一部は鉄筋のままであり、これは工事途中で米軍上陸を迎えたものと思われる、屋根は無く、防空掩蓋は不十分であった事が分かる。この砲台は比較的無傷で米軍の手に落ちた様であり、米軍上陸直前の本砲の様子を知る事が出来る。

グアム島に於ける日本軍陣地の多くは、米軍上陸(昭和19年7月21日)までに工事が完了しておらず、本砲の砲台の多くも工事途中であった。それらの殆どは米軍による砲爆撃によって破壊された。実際、グアム島の第五四警備隊司令杉本豊海軍大佐(グアム島で自決)は、陸上戦闘に於いては本砲よりも大口径機銃(「九六式二十五粍高角機銃」等)の方が有効で、防掩蓋不十分な平射沿岸砲(本砲や「四十五口径十年式十二糎高角砲」)は無力であった、という戦訓報告をしている。

本砲は、大口径(口径120mm・200mm)で威力のある火砲ではあったが、元々、商船の自衛用火砲として開発された急造砲であった為、島嶼などの陸上砲台・沿岸砲台に於いて運用するには適していなかった。
本砲は砲架が固定式であり、一度据え付けると容易に移動が出来なかった。そこで、コンクリート製掩蓋などで遮蔽された砲台に配備し、更にその砲台を偽装して秘匿したとしても、一度射撃を開始すると容易にその位置を露呈してしまった。迅速な移動が困難な本砲は陣地変換が出来ず、圧倒的な砲爆撃を受けて破壊された。或いは、運搬が困難な本砲は、味方部隊の後退の際に放棄され、米軍に捕獲された。

これは本砲のみならず、艦艇に搭載して使用する高角砲として開発された 「四十五口径十年式十二糎高角砲」など、陸上で運用された艦載兵器に関して同様の事が言えた。

「短十二糎自走砲」

大東亜戦争末期、日本海軍は本砲(「短十二糎砲」)を自走砲化した車両を製作した。
その車両は、本砲を「九七式中戦車改」の砲塔内に搭載し、「短十二糎自走砲」と呼ばれた呼称された。

「短二十糎自走砲」 「短二十糎自走砲」

大東亜戦争末期の急造兵器であり、開発経緯・性能・生産台数・戦歴等の詳細は不明である。

九七式中戦車改」に搭載する為、本砲には各種の改造が成されていた。

駐退機は、本砲の原型では砲身上部に1本装備されていたが、「短二十糎自走砲」では砲身と同軸上に砲身を取り巻く円柱状の駐退機が装備されていた。
終戦直後に米軍が接収・撮影した写真からその様子が分かる。(→)

「短二十糎自走砲」 「短二十糎自走砲」 砲口にはマズルブレーキが装備された。(←)
これは、発砲時の爆風を砲口から左右に噴出させ、砲口のぶれを防ぐ為の装置である。

また、「九七式中戦車改」の砲塔(「一式四十七粍戦車砲」用)を殆どそのまま流用して本砲を搭載した為、砲塔内はかなり狭隘であった。
砲塔内左側が砲手の位置であり、砲塔旋回用のハンドルがあるが、すぐ右側に本砲があり、砲手はこの狭い隙間で砲塔の旋回操作・本砲の照準操作を行う必要があった。(→)

閉鎖機(尾栓)は、本砲の原型と同様、左開きの垂直鎖栓式であった。(↓)
装填手は砲塔右側に位置し、閉鎖機を操作して弾薬の装填作業を行ったが、ここも非常に狭い為、その操作は困難であったと考えられる。

「短二十糎自走砲」 「短二十糎自走砲」 この様に非常に狭い砲塔内であった為、砲塔内には2名(砲手・装填手)入るのが精一杯であり、砲手が車長を兼任していたと考えられる。また、砲塔内が狭いと言う事は、砲弾搭載数も制限されていたと考えられる。

「短二十糎自走砲」の生産台数は不明であるが、佐世保に4両、横須賀に10両(横須賀第十六特別陸戦隊)が配備されていた事が確認されている。日本本土以外への配備は不明であるが、時期的に本土決戦用に内地に温存されていたと思われる。

また、「短二十糎自走砲」の生産に使用された、「九七式中戦車改」は、専用に生産された車体ではなく、既存の車体を改造したと考えられる。

本砲は大口径(口径120mm)であったが、曲射による砲弾の発射が主目的であり、砲弾は低初速であった。その為、本砲を自走砲化した車両であった「短二十糎自走砲」は、「九七式中戦車改」の車体を使用していたものの、、対戦車戦闘を主目的として開発されたとは考えにくい。
「短二十糎自走砲」は、大威力の榴弾を発射して地上戦闘に協力する自走支援火砲として製作されたと思われる。もちろん、本砲の発射するような炸薬の多い大口径の榴弾は、敵戦車・敵装甲車両に対しても相当な被害を与える事が出来る為、対戦車戦闘を行う事も可能であっただろう。しかしその場合は、砲塔内の狭隘さ、搭載砲弾の少なさから、対戦車戦闘はあくまで自衛戦闘などに限られ、これを積極的に行う事は難しかったと考えられる。

船舶に搭載する目的で開発された本砲は、移動可能な砲架を装備していなかった。その為、陸上戦闘で運用する場合、迅速な運搬や急速な陣地変換は困難であった。実際、太平洋方面の島嶼に配備された本砲は、固定式の陸上砲・沿岸砲として運用された。その様な陸上砲台・沿岸砲台は、その位置が露呈しても陣地変換が出来ず、忽ち集中的な砲爆撃を受けて破壊されてしった。また、戦線の変化に伴う運搬・移動も困難であった為、後退する際は放棄せざるを得ず、敵に捕獲された本砲もあった。
この様に陸上戦闘には不向きな本砲を自走砲化してある程度の機動力を持たせる事で、陸上戦闘に於ける有効な支援火砲として運用しようとしたのが「短二十糎自走砲」であったと考えられる。特に、「短二十糎自走砲」が製作された時期は大東亜戦争末期であり、本土決戦に於ける運用を考えていたと思われる。

同様の車両に「四十五口径十年式十二糎高角砲」を自走砲化した「海軍十二糎自走砲(長十二糎自走砲)」があった。

「短十二糎砲・短二十糎砲」の性能


「短十二糎砲」

全備重量:1890kg 砲身重量:218 kg 口径:120mm 砲身長:1440mm(12口径) 初速:290m/s(常装)200m/s(弱装)
最大射程距離:5800m(仰角45度) 最大射高距離:2800m(仰角75度) 発射速度:7〜12発/分
俯仰角:-15〜+75度 俯仰速度:12〜13度/秒(手動) 水平射角:360度(全周) 旋回速度:12〜13度/秒(手動)
薬室:垂直鎖栓式 薬室容積:3m3 砲弾装填時仰角:約10度
使用弾種:通常弾(榴弾)、阻塞弾、焼夷弾、焼霰弾、対潜弾、演習弾 等
       短十二糎砲用一号通常弾(弾丸重量:11.8kg、弾薬直径(最大):119.5mm、炸薬重量(「九一式爆薬」):2.5kg、弾丸全長:320mm、弾薬包全長:630mm)
使用信管:「九一式時限信管改一」「八八式信管二型」「四式信管」「対潜信管」
使用薬莢:薬莢底直径:148mm、全長248mm、材質:真鍮、装薬(「八九式火薬」):0.5kg(常装)、火管:「莢一号撃発火管四型」
製造数:約500門(「短十二糎砲」「短二十糎砲」合計)

「短二十糎砲」

全備重量:4100kg 砲身重量:630 kg 口径:202mm 砲身長:2438mm(12口径) 初速:310m/s 砲身寿命:2000発
最大射程距離:6500m(仰角45度) 最大射高距離:3500m(仰角75度) 発射速度:3〜4.5発/分(低仰角時)
俯仰角:-15〜+75度 俯仰速度:8度/秒(手動) 水平射角:360度(全周) 旋回速度:8.6度/秒(手動)
薬室:垂直鎖栓式 薬室容積:14.6m3 砲弾装填時仰角:約10度
使用弾種:通常弾(榴弾)、阻塞弾、焼夷弾、焼霰弾、対潜弾、演習弾 等
       短二十糎砲用一号通常弾(弾丸重量:50.3kg、弾薬直径(最大):201.5mm、炸薬重量(「九一式爆薬」):12.9kg、弾丸全長:557mm)
使用信管:「零式時限信管」「八八式信管二型」「四式信管」「対潜信管」
使用薬莢:重量:10.4kg、薬莢底直径:243mm、全長280mm、材質:真鍮、装薬(「八九式火薬」):2.0kg(常装)、火管:「莢一号撃発火管四型」
製造数:約500門(「短十二糎砲」「短二十糎砲」合計)

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各地に遺される「短十二糎砲・短二十糎砲」


グアム島

ガン・ビーチ(タモン湾)」 (短二十糎砲:1門)

グアム島の「短二十糎砲」 グアム島の「短二十糎砲」 グアム島の「短二十糎砲」

オンワード・ビーチ・ホテル」 (短二十糎砲:2門)

グアム島の「短二十糎砲」 グアム島の「短二十糎砲」 グアム島の「短二十糎砲」

グアム島の「短二十糎砲」 グアム島の「短二十糎砲」 グアム島の「短二十糎砲」

サイパン島

ラストコマンドポスト」 (短二十糎砲:1門)

サイパン島の「短二十糎砲」 サイパン島の「短二十糎砲」 サイパン島の「短二十糎砲」

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