グアム島

グアム島

グアム島の戦跡
大東亜戦争におけるグアム島の歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

グアム島北部の戦跡

ジーゴ(Yigo)周辺

・リティディアン岬(北岬)
・アンダーセン空軍基地
・ジーゴの戦いのモニュメント
・南太平洋戦没者慰霊公苑
 (South Pacific Memorial Park)
・米軍記念碑
・タンギッソン・ビーチのトーチカ

タモン(Tumon)周辺

・第21爆撃集団司令部跡
・ガンビーチの短二十糎砲
・実弾射撃場
・ハイアット・リージェンシー・グアム前の
 トーチカ
・フィエスタ・リゾート・グアム前のトーチカ
・グアム・マリオット・リゾート&スパ前の
 トーチカ(2ヶ所)
・ヒルトン・ホテルのトーチカ
・飛行場跡

グアム島中部の戦跡

ハガニア(Hagatna)周辺

・オンワード・ビーチ・ホテルの短二十糎砲
・米軍墓地
・ハガニアのトーチカ
・スペイン広場
・ラッテストーン公園
・アプガン砦

アサン(Asan)沿岸

・日本軍防空壕
・アデラップ岬の四十五口径十年式
 十二糎高角砲・アデラップ岬のトーチカ
・九五式軽戦車・日本軍火砲
・太平洋戦争博物館(Pacific War Museum)
・太平洋戦争国立歴史公園
 アサン・ビーチパーク
 (WAR IN THE PACIFIC NATIONAL
 HISTORICAL PARK ASAN BEACH)

アサン(Asan)内陸

・日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT)
・アサン展望台ポイント
 (WAR IN THE PACIFIC NATIONAL
 HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK)
・ピティ・ガンズ(PITI GUNS)
・退役軍人墓地の米艦砲

グアム島南部の戦跡

サンタ・リタ(Santa Rita)周辺

・M4中戦車(シャーマン)
・T.STELL NEWMAN VISITOR CENTER
・オロテ半島

アガット(Agat)周辺

・太平洋戦争国立歴史公園
 アパカ・ポイント・ビーチパーク
 (WAR IN THE PACIFIC
 NATIONAL HISTORICAL PARK
 AGAT UNIT-APACA POINT)
・太平洋戦争国立歴史公園
 ガアン・ポイント・ビーチパーク
 (WAR IN THE PACIFIC
 NATIONAL HISTORICAL PARK
 AGAT UNIT-GA'AN POINT)
・アリファン山(有羽山)
・ニミッツ・ビーチパーク

東海岸

・パゴ湾のトーチカ
・マネンガン収容所跡(Manenggon Concentration Camp)
・イリグ湾の陣地跡
・イリグ湾のトーチカ

南海岸

・Jeff's Pirates Coveのトーチカ
・キャンプ・ディアレイ跡(Camp Dealey)
・アラタマ丸
・横井ケーブ(Talofofo Falls Resort Park)
・メリッツォの対空陣地跡
・ソレダット砦

グアム島まで(2011年8月更新)

日本から3時間半程度のフライトで行くことができ、ツアー代金も割安なものが多く、手軽な海外の常夏リゾート地として人気が高い。

グアムへの旅行は大抵の場合は航空券とホテルがセットになったツアーが最も良いだろう。航空券とホテルを個別に買うよりもツアーの方が通常安い。各旅行会社からは無数のツアーが発売されており、その全てを詳しく一つひとつ見ていくことはできない。ここで、旅行会社比較サイトのエイビーロードでは大まかな条件を指定して価格順にツアーを表示させることができるので、ホテルなどにあまりこだわりがなく最安値のツアーを狙いたいなら利便性が高い。

旅行会社比較サイト「エイビーロード」のグアムツアー一覧(価格順):http://www.ab-road.net/

旅行会社のHPを直接調べるのは多少手間が掛かるが、特売や早割など、直販ならではのツアーが見つかる可能性がある。旅行会社は各社共に特徴があるが、大別すると格安ネット系、旅行代理店系の2種類がある。

格安ネット系旅行会社

格安ネット系旅行会社の特徴は、なんといっても店舗を持たないことによるコスト削減によって実現した価格の安さである。グアムツアーの一覧、空き状況は以下のページに飛べは直接確認できる。

てるみくらぶ」のグアムツアー:http://www.tellmeclub.com/

トップツアー」のグアムツアー:http://topsrv1.toptour.co.jp/

ゴールデンウィーク、お盆、年始年末のピークシーズン、およびその前後のショルダーシーズンの値段は閑散期であるベーシックシーズンよりも高くなる。ベーシックシーズンでは4日間のツアーが26,000円+燃油費1,4000円=40,000円程度から用意されている。

旅行代理店系旅行会社

旅行代理店の特徴は、サービスや対応がしっかりしていて安心感があることである。JTB日本旅行は高級感のあるツアーに強みがある。部屋からのオーシャンビューや階層などにこだわりがある場合は、これらの眺望指定付きのツアーを予約すればよいだろう。JALパックは日本航空の便限定で、空港からホテルへの送迎も日本語を話せるスタッフがホテルまで案内してくれ、ホテルも日本語が話せるスタッフを用意しているところが多い。その分若干価格帯は高めのツアーが多いが、語学力が不安な旅行者には心強いだろう。また、決済にマイルを使うこともできる。

JTB」のグアムツアー:http://ovspkg.jtb.co.jp/

日本旅行」のグアムツアー:http://world.nta.co.jp/

JALパック」のグアムツアー:http://intltoursearch.jal.co.jp/jal_intl/

閑散期のベーシックシーズンでは眺望指定のないものなら燃油サーチャージ込みで32,000円からのツアーが用意されている。

航空券+安宿

通常はツアーの方が安いが、旅行期間が長めの場合は航空券のみを購入する方が安くなる場合がある。いわゆる一般的な観光ホテルではなく、安宿を探すのである。空港から宿までの移動手段を自分で確保する必要があるが、そのあたりを気にしない旅行者には有効な手段である。航空券の予約は「イーツアー」が各航空会社のものを取り揃えており検索の利便性が高いだろう。

イーツアー」のグアム行き航空券:http://www.etour.co.jp/discount/mcr/gu/index.html

最も安いものではコンチネンタル航空の航空券30,000円+燃油サーチャージ14,000円+税等7,000円=51,000円から用意されている。

グアムにはネットのホテル検索やガイドブックに載っていない安宿がある。これらを活用すれば安く長期滞在することができる。その中の一つが「タムニングプラザホテル」である。

タムニングプラザホテル:http://www.expedia.co.jp/(Expediaの予約フォーム)
Eメール:info@guamhotel.com

部屋はフルサイズベッドを備えたシングルルームが一部屋4200円、ダブルルームが一部屋4900円から用意されている。予約は予約フォームのほか、Eメールからも行うことができる。
てるみくらぶ」では延泊の追加料金は1人1日5500円程度であり、グアムに1週間以上の長期滞在をするなら、航空券だけとって安宿に泊った方が安くなるため検討に値する。

グアム島の交通情報

島内交通は路線バスやタクシーもあるが、タモン地区など一部の観光地にしか走っていない。島内の移動にはレンタカーが必須だろう。レンタカー屋のほか、大きなホテルには大抵レンタカーデスクがある。料金は日本国内とほぼ同等。日本の運転免許での運転が法的に認められており、国際運転免許証等は必要ない。

本サイトではレンタカーがあればグアム島内の戦跡を回れるように詳細な場所と行き方を記載しているが、運転免許がない人、海外での運転に不安がある人は戦跡ツアーを利用するのが良いだろう。Alan1.netではオプショナルツアーという形で戦跡ツアーのみを単品で申し込むことができる。

Alan1.net:http://www.alan1.net/

上記のページの左上の「検索」というところに「グアム 戦跡」と打ち込むと「グアム太平洋戦争戦跡巡りツアー」というオプショナルツアーが表示され、ここからオンラインで申し込むことができる。
人数にもよるが、1人110ドルからである。

グアム島の戦跡 グアム島の面積はマリアナ諸島最大の約549平方kmで淡路島とほぼ同じ大きさである。人口もマリアナ諸島全体の約22万のうちグアム島には約15万4千人で最大である。北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地で、南部はラムラム山(海抜406m)をはじめとする山々が連なる丘陵地帯である。周囲には熱帯ジャングルが広がっている。

気候は典型的な海洋性亜熱帯気候で年間の平均気温は約26℃で夏冬差は小さく年中常夏の島である。11月から5月が乾季であり、6月から10月が雨季である。

グアム島は永正18年(1521年)にヨーロッパ人として最初にマゼランによって「発見」された。以来、約300年間のスペイン支配ののち、1898年の米西戦争でスペインがアメリカに敗れると、グアム島はアメリカに割譲された。一方、グアム島以外のスペイン領ミクロネシアはドイツへ売却された。第一次世界大戦でこれらのドイツ領となった島々は日本に占領されていたため、対米英開戦時は、日本領の島々の中にアメリカ領のグアム島が孤立する形となっていた。

大東亜戦争開戦直後の昭和16年(1941年)12月10日、日本軍約5200名の攻略隊がグアム島に上陸したが、米軍は孤立するグアム島の守備は不可能と考えて700名程度の守備隊しか配置していなかった。大きな戦闘もなく米軍守備隊は降伏し、戦闘は1日で終結した。

グアム島の戦跡 以降マリアナ諸島は前線から遠く離れた後方基地であったが、昭和19年(1944年)頃、日本の敗色が濃厚となってくると、日本はマリアナ諸島への米軍の侵攻を予想し、陸軍部隊の増援を送って要塞化を進めた。なぜならば、マリアナ諸島は絶対国防圏の要所であり、ここを失陥すると日本本土が「B29」の爆撃圏内に入ってしまうからであった。

昭和19年(1945年)年6月11日、米機動部隊来襲、以降空襲が始まった。7月20日、米艦隊は戦艦6隻・巡洋艦9隻・駆逐艦多数をもって上陸支援の艦砲射撃を行った。翌日21日午前8時、米軍はグアム島西側の「オロテ半島」を挟む2地点に同時に上陸を開始した。陸軍独立混成第四八旅団が守備する「浅間湾(アサンビーチ)」には米第3海兵師団が上陸した。日本軍は21日から23日にかけて大隊ごとに夜襲をかけたが、ほぼ壊滅した。陸軍歩兵第三八連隊が守備する「昭和湾(アガットビーチ)」には米第1海兵臨時旅団が上陸した。21日午後9時頃、第三大隊を中心とした残存兵力は 「アリファン山」から夜間突撃を行ったが大損害を受けてしまった。

25日、高品師団長は25日夜の総攻撃を師団命令として下達し、陸軍独立混成第十連隊、独立混成第四八旅団、歩兵第十八連隊は 「浅間湾(アサンビーチ)」に突撃した。しかし、米軍はさらに上陸部隊を増援しており、大隊長以下大半が戦死し青葉山(ニミッツヒル西側)に後退し、ここにおいて各部隊は組織的戦力を喪失した。

グアム島の戦跡 26日、米軍戦車数十両が陸軍独立混成第四八旅団が守備するマンガン山(ニミッツヒル)に攻撃を開始し、重松旅団長戦死。28日、米軍戦車数十両が陸軍第二九師団司令部のある「本田台(フォンテヒル)」に攻撃を開始し、高品師団長戦死。29日、小畑軍司令官が師団長に代わり全守備隊を指揮することとなった。残存部隊は陸軍も海軍も島北部の「叉木山(マタギャックヒル)」に集結した。8月9日、米軍戦車約50両が叉木山に攻撃を開始した。11日、「叉木山」の司令部陣地を破壊され、小畑軍司令官自決。

組織的戦闘終了後も約2500名の残存兵力は密林に入りゲリラ戦を展開したが、その多くは病人や負傷者であった。米軍はマリアナ諸島の飛行場を拡張、整備し、戦争終結まで「B29」による戦略拠点とて活用した。生存者の中には昭和20年の終戦を信じなかった者もいた。その中の一人、横井庄一元軍曹は昭和47年(1972年)1月に島民により発見され、日本への帰国を果たした。

グアム島の戦跡の特徴は、トーチカや砲が戦争当時の状態でそのまま遺っているものが多いことである。博物館等できれいに保存されているものからは感じられない、生々しいリアリティがそこにはある。現在は平和そのものの島であるが、そこだけは確かに半世紀前に日米の血みどろの激戦が繰り広げられたことを想起させる。

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