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書籍(参考資料)
「零式戦闘機」
基本情報
「零式戦闘機」
著者:吉村 昭 出版社:新潮社 定価(税込):400円(1968年) 初版発行:1968年 JP番号:68014890 ASIN:B000JA3H7E
「零式戦闘機」
著者:吉村 昭 出版社:新潮社 新潮文庫 定価(税込):240円(1978年) 初版発行:1978年3月30日 JP番号:78012509 ASIN:B000J8QCT6
「零式戦闘機(改版)」
著者:吉村 昭 出版社:新潮社 新潮文庫(改版) 定価(税別):476円(1998年) 初版発行:1978年3月30日 日本図書コード ISBN-10:4101117063 ISBN-13:9784101117065
書籍概要
「零式艦上戦闘機」に関して書かれた本である。
本書は、大東亜戦争全般を通じて日本海軍の主力戦闘機であった「零式艦上戦闘機」に関し、その開発の過程や生産の状況、その後の戦闘に於ける活躍、更には戦争末期の苦闘の状況が描かれている。すなわち、「零式艦上戦闘機」の誕生から終焉までが、大東亜戦争を通じて日本のおかれた状況と重ね合わせて描かれているのが特徴である。
本書は、技術的な事項や戦闘の詳細に関しては概略に留められている。航空機関連の書物としては物足りない部分もあり、戦史に関してもやや不備が見られるが、文章も平易であり、要点が非常に良く纏められている。
本書は、「零式艦上戦闘機」や戦史について初めて読むのには最適な1冊である。 また、「零式艦上戦闘機」の設計主務者であった堀越二郎技師に関しては、宮崎駿監督のスタジオジブリ作品「風立ちぬ」(2013年:日本)に於いて描かれており、「風立ちぬ」を鑑賞するにあわせて読んでおきたい1冊である。
目次 (新潮文庫)
一 5P
昭和15年3月23日午後7時、愛知県名古屋市の三菱重工名古屋航空機製作所から海軍の新型戦闘機の試作機が運び出され、岐阜県各務原飛行場に向けて牛車で輸送される場面が描かれている。
二 11P
日本における航空機開発の歴史の概要が紹介されている。また、後に「零式艦上戦闘機」の設計主務者となる三菱重工名古屋航空機製作所の堀越次郎技師が始めて手がけた「七試艦上戦闘機」や、「九試単座戦闘機」に関して紹介されている。特に「九試単座戦闘機」は後に「九六式艦上戦闘機」として正式採用され、日本の航空機開発技術が世界の水準に追いついたことを示した。
三 28P
昭和12年、「九六式艦上戦闘機」の後継機として「十二試作艦上戦闘機」の計画が海軍から三菱に提示された。この章では、その要求性能の詳細や、それに対する堀越技師以下の開発陣の対応が紹介され、この機体の開発方針などが紹介されている。
四 56P
三菱における「十二試作艦上戦闘機」の開発の様子が描かれている。また、当時の海軍に於ける戦闘機の運用や要求性能に関する思想にも言及されており、それが開発に少なからず影響を与えていたことが分かる。
五 77P
昭和14年3月16日、「十二試作艦上戦闘機」の試作1号機が完成したときの様子が描かれている。この後、第一章で紹介されたように牛車によって各務原飛行場へと運ばれていく。
六 81P
昭和14年4月1日、「十二試作艦上戦闘機」の試作1号機が初飛行したときの様子が描かれている。その後も試験飛行が続けられ、最高速度は時速500キロを超え、更に良好な運動性能をもった機体であることが確認された。そして9月14日には試作1号機が海軍に領収された。
七 98P
試作1号機に引き続いて試作機が製作され、細部の改修が続けられていった。しかし、昭和14年3月31日、海軍の追浜飛行場で試験飛行中の試作2号機が空中分解し、操縦士が殉職するという重大事故が発生した。この章では事故の詳細やその後の事故原因調査、その対策などが紹介されている。
八 111P
昭和14年6月、「十二試作艦上戦闘機」を中支戦線へ派遣、重慶爆撃を行っていた陸攻隊の援護を行うことが決定され、漢口基地に15機が進出した。試作段階である機体を実戦投入すると言うことは異例であったが、これは「十二試作艦上戦闘機」に対する海軍の期待大きさを示すものであった。そして7月末、「十二試作艦上戦闘機」は「零式艦上戦闘機」として正式に採用された。
九 124P
昭和14年9月13日、漢口基地を発進した進藤三郎大尉率いる13機の「零式艦上戦闘機」は重慶上空において、27機の中国軍戦闘機と交戦し、中国軍機ほぼ全機を撃墜し、味方には1機の損失もないという大戦果を挙げた。「零式艦上戦闘機」は初陣でその優秀な性能をみせた。この章ではその空中戦の様子が描かれている。
十 138P
その後の中支戦線に於ける「零式艦上戦闘機」の活躍が紹介されている。また、正式採用に伴って量産が開始された。しかしその頃、日本を取り巻く状況は悪化の一途をたどり、アメリカ・イギリスとの関係は日増しに緊張の度合いを増してきていた。
十一 147P
他機種との比較や、中支戦線に於いて示された「零式艦上戦闘機」の優位性に関して言及されている。しかし、昭和16年4月17日に第135号機の空中分解事故が発生、試験飛行中の操縦士が殉職した。この事故は、当時は十分に解明されていなかったフラッターという現象によるもので、事故を契機としてその研究方法が飛躍的に向上することになった。
十二 163P
日本政府は悪化する日米関係を修復しようと必死の外交努力を続けていたが、アメリカは日本が到底受け入れられない内容の条件を突きつけてきた。事ここに至り、日本は自存自衛の為に開戦を決意せざるを得なくなった。そして「零式艦上戦闘機」は海軍の期待を担い、対米戦の最前線に投入される事になった。
十三 172P
昭和16年12月8日、日本はアメリカ・イギリスなどに対して戦争を開始した。大東亜戦争の開戦はハワイ諸島オアフ島真珠湾の米海軍太平洋艦隊に対する奇襲でその幕を開いた。また、同日、フィリピン諸島ルソン島の米陸軍基地に対する航空攻撃も開始された。これらの作戦には多数の「零式艦上戦闘機」が参加、アメリカやイギリスの航空機に対して圧倒的な強さを見せつけた。そして「零式艦上戦闘機」は連合軍パイロットにとって畏怖の対象とすらなっていった。
十四 197P
日本軍は各地で破竹の快進撃を続けた。「零式艦上戦闘機」は連合軍機を次々と撃墜、瞬く間に太平洋の制空権を得た。それは日本の航空機開発技術の高さの証明でもあった。しかし、アメリカが間もなくその巨大な工業力を発揮して反撃に出るであろう事も予想された。
十五 206P
内地では「零式艦上戦闘機」の量産に拍車がかけられ、日本軍は太平洋の広大な占領地を得た。併しながら、昭和17年6月5日、日本海軍はミッドウェー海戦に於いて主力空母4隻を喪失、更にその支作戦であったアリューシャン方面に於いて、無傷の「零式艦上戦闘機」が米軍に捕獲された。調査によってその高度な性能が明らかになるとともに、弱点も明らかになってしまった。そして、8月7日、ソロモン諸島ガダルカナル島に米海兵隊が上陸、遂に米軍の反撃が開始された。
十六 234P
ガダルカナル島を巡る日米の戦闘は果てしない消耗戦となり、互いの補給能力の差を反映するものとなった。「零式艦上戦闘機」はかろうじて優位を保っていたが、米軍は次々と新型戦闘機を繰り出し、更には強力な防御火網と防弾性能を誇る重爆撃機を投入しだした。
十七 240P
昭和18年に入ると日本軍はガダルカナル島から撤退、米軍の反攻は勢いを増していった。「零式艦上戦闘機」の優位性は次第に薄らぎ、圧倒的な数で押しよせる米軍戦闘機の前に苦しい戦いを強いられるようになった。そして多くの機体とともに大勢の熟練搭乗員が失われていった。
十八 249P
内地では「零式艦上戦闘機」の必死の生産が行われていた。この章では当時の生産の様子が描かれているが、完成した機体を輸送する為の手段として依然として牛車が使用されており、当時の日本の工業力の限界を垣間見ることができる。
十九 260P
昭和19年に入ると日本軍の敗色はいっそう濃くなった。マーシャル諸島を占領した米軍は6月にはマリアナ諸島に来襲、頼みの連合艦隊も「あ」号作戦に失敗、もはや海軍航空部隊は再建不能な状態に陥った。内地では物資が不足し始め、「零式艦上戦闘機」の生産にも影響が出始めた。また米海軍の新型戦闘機「F6F」の登場は、「零式艦上戦闘機」にとって大きな脅威となり、昔日の面影は既に無くなっていた。
二十 268P
8月にはマリアナ諸島が米軍の手に落ち、日本本土への空襲が決定的なものとなった。そして10月末、米軍はフィリピン諸島に来襲、遂に日本軍は爆弾を抱いた飛行機ごと敵艦に体当たりをする特別攻撃の実施に踏み切った。その先陣を切ったのは5機の「零式艦上戦闘機」であった。以後、多くの勇士が祖国の危機を救わんと飛び立ってゆき、再び還ることはなかった。
二十一 282P
昭和19年12月7日、東海地方は大地震に見舞われ、三菱重工の航空機製作工場は大きな被害を受けた。そして12月18日には遂に米軍爆撃機「B29」の空襲が開始され、名古屋航空機製作所がその標的となった。工場では多くの工員とともに勤労奉仕の中学生や女学生にも多数の死傷者が出た。昭和20年に入ると戦局は絶望的となり、国内は末期的な状況を呈していた。「零式艦上戦闘機」の生産は必死の努力で続けられていたが、その生産数は減少の一途をたどっていた。4月には沖縄本島に米軍が来襲、日本軍は大規模な特攻攻撃で阻止を試みたが、米軍の進撃を阻止することは出来ず、6月末に沖縄は陥落、更に国内の都市は空襲によって軒並み焦土と化し、8月6日・9日には広島・長崎に原子爆弾が投下され、多くの一般市民が米軍によって殺傷された。8月15日、遂に日本は連合国に降伏、ここに大東亜戦争は終戦を迎えた。そして「零式艦上戦闘機」もその歴史に幕を下ろした。
関連書籍
本書に関連する戦史
「真珠湾攻撃」 「奇襲ハワイ作戦」 「真珠湾攻撃・全記録 日本海軍・勝利の限界点」 「大捷マレー沖海戦」 「ミッドウェー」 「遠い島 ガダルカナル」 「ラバウル海軍航空隊」 「機動部隊」
本書に関連する戦記
「大空の攻防戦」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昭和19年1月17日、ニューブリテン島ラバウル上空で行われた空中戦に関して 「遥かなる俊翼 日本軍用機空戦記録」・・・・・昭和19年1月17日、ニューブリテン島ラバウル上空で行われた空中戦に関して 「太平洋戦争航空史話(上)」・・・・・・・・・・・・・・昭和17年8月30日、ガダルカナル島上空で行われた空中戦に関して 昭和19年4月5日南寧上空で行われた空中戦に関して 「太平洋戦争航空史話(下)」・・・・・・・・・・・・・・大東亜戦争初期に於けるフィリピン空軍との空中戦に関して
本書に関連する兵器・装備品
「零式戦闘機」(柳田 邦男)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「零式艦上戦闘機」に関して 「零式艦上戦闘機」([歴史群像]太平洋戦史シリーズ12)・・・「零式艦上戦闘機」に関して 「世界の傑作機No.27 96式艦上戦闘機」 ・・・・・・・・・・・・・・・・「九六式艦上戦闘機」に関して 「日本空母と艦載機のすべて」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「零式艦上戦闘機」に関して
本書に関連する個人戦記・伝記
吉村昭の著作
関連映画
「風立ちぬ」(スタジオジブリ作品)
関連項目
「零式艦上戦闘機」
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