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兵器・装備品
日本陸軍・日本海軍 米陸軍・米海軍・米海兵隊
書籍(参考資料)
「ペリリュー島玉砕戦 南海の小島 七十日間の血戦」
基本情報
著者:舩坂 弘 出版社:叢文社 定価(税込):1400円(1981年) 初版発行:1981年7月 JP番号:8103753 日本図書コード ISBN-10:4794700237
著者:舩坂 弘 出版社:光人社 光人社NF文庫 定価(税別):700円(2000年) 初版発行:2000年11月15日 日本図書コード ISBN-10:476982288X ISBN-13:9784769822882
書籍概要
大東亜戦争末期のパラオ諸島ペリリュー島に於ける日本軍守備隊と米軍との戦闘の様子を記述した戦史である。
昭和19年(1944年)9月、米軍はパラオ諸島への侵攻を開始、9月15日にはペリリュー島に上陸、2日後の17日にはアンガウル島に上陸した。パラオ諸島は陸軍の歩兵第十四師団を主力とする陸海軍部隊が守備しており、特にペリリュー島には守備隊長中川州男大佐以下、歩兵第二連隊と歩兵第十五連隊の一部を主力とし約1万名が配置されていた。 当初、米軍はペリリュー島を3〜4日で占領できると考えていたが、日本軍守備隊の抵抗は熾烈を極め、特に、内陸部に構築された復郭陣地に拠る徹底的な持久戦を行った。結果、米軍がペリリュー島を完全に占領したのは上陸開始から2ヶ月以上後であった。 この戦闘で軍守備隊の殆どは玉砕したが、米軍も多大な死傷者を出し、以後の日米の島嶼作戦に大きな影響を与える事になった。
本書の著者である舩坂弘氏は、パラオ諸島への米軍侵攻時、歩兵第五十九連隊第一大隊の擲弾筒分隊長としてアンガウル島の守備に就いていた。舩坂氏は、その後の戦闘で重傷を負って意識不明のところを米軍に捕らえられたが一命をとり止めた。戦後は、自らの体験を基にして多数の戦記を著し、戦没者への慰霊と戦後世代に対する啓蒙活動を精力的に行ってきた。 舩坂氏は、平成 年( 年)に死去したが、その著書の多くは、大東亜戦争で祖国や家族・同胞の為に殉じた当時の多くの青年達の純粋な心を後世に伝えたいという、舩坂氏の熱い思いが伝わってくる内容となっている。
本書は、プロローグ・あとがきと、時系列順の8つの章から構成されている。 プロローグでは、著者が、戦後の昭和40年(1965年)8月、慰霊の為にペリリュー島を訪れた時の様子が紹介されていペリリュー島は、戦後も殆ど開発されておらず、島内には当時の戦闘の痕跡や施設跡がほぼそのままの状態で遺されている。 第一章では、昭和19年(1944年)9月15日朝、米第1海兵連隊がペリリュー島の海岸(西地区・南地区)に上陸を行った際の様子が描かれている。ここでは、歩兵第二連隊第二大隊と歩兵第十五連隊第三大隊を主力とする約1000名が米海兵隊を迎え撃った。本章では、西地区と南地区に於ける水際戦闘の様子が紹介されている。 第二章では、やや時間を遡り、パラオ諸島に配備された歩兵第十四師団に関して述べられている。第十四師団は関東軍隷下の部隊として満州(中国東北部)に駐屯していたが、昭和19年(1944年)3月〜4月、パラオ諸島に移動し同方面防衛の主力となった。本章では、パラオ本島・ペリリュー島・アンガウル島の兵力配置や陣地構築の様子が紹介されている。 第三章では、米軍上陸初日の9月15日から20日頃までの西地区と南地地区、飛行場周辺に於ける戦闘の様子が紹介されている。 第四章ではペリリュー島への日本軍の逆上陸について紹介されている。9月22日夜から25日未明にかけて、パラオ本島の第十四師団主力から歩兵第十五連隊第二大隊が米軍包囲下のペリリュー島に対して逆上陸を実施、約600名が上陸に成功し、守備隊主力と合流した。これは、米軍包囲下の島嶼に対する逆上陸が成功した数少ない例であり、その様子が詳細に紹介されている。 第五章では、ペリリュー島からパラオ本島に向けて行われた海中伝令について紹介されている。前述の逆上陸に関する詳報をパラオ本島の地区集団司令部に届ける為、17名の伝令隊が編成された。彼らは、9月28日にペリリュー島を出発、約50キロ離れたパラオ本島までを泳いで目指した。多くの隊員が途中で戦死したが、出発から4日後の10月1日頃に4名が奇跡的にパラオ本島に到着、司令部に詳報を届けることに成功した。 第六章では、ペリリュー島の北部(北地区)に於ける戦闘の様子が描かれている。 第七章では、ペリリュー島の中部(復郭陣地)に於ける戦闘の様子が描かれている。 第八章でペリリュー島に於ける日本軍守備隊の最期の様子が描かれている。
本書は、アンガウル島の戦闘から奇跡的に生還した舩坂氏によって描かれている。舩坂氏の参加したアンガウル島での戦闘も、ペリリュー島での戦闘に劣らず熾烈で凄惨であった。当時、舩坂氏は、多くの戦友が純粋に祖国や家族を想いながら無念のうちに斃れていくのを目の当たりにしてきた。そして、戦後に 大東亜戦争に殉じた多くの将兵の想いが忘れ去られ、無知蒙昧な一般大衆は平和の大切さを微塵も感じていない状況に対し、戸惑いと憤りを この事を後世に伝えるべく ペリリュー島と同様、日本軍が
本書は、ペリリュー島に於いてどの様な戦闘が行われたか、そして、多くの将兵がどの様な想いを抱いて散っていったか、これらの事実を知る上で是非とも読むべき1冊である。
目次 (光人社 光人社NF文庫)
プロローグ・・・・・・・・・・・・・・・11P 第一章 狙われた天皇の島 米軍大船団接近・・・・・19P 戦闘はやってみないと判らない・・・・・46P 精強二個大隊の勇戦なるか・・・・・51P 敵も味方も殺意におののく・・・・・62P 第二章 米軍の威力絶大 関東軍最強部隊南進す・・・・・66P 闘志は充分・・・・・81P 第三章 水際撃滅戦への憂慮 豆戦車対巨象M4・・・・・84P 血に染まった南海の楽園・・・・・94P 南部戦線異常あり・・・・・97P 敵上陸正面を死守せよ・・・・・102P 人間機雷・・・・・108P 陸兵に負けぬ陸戦隊・・・・・113P 第四章 敵前上陸 逆上陸先発隊の出撃・・・・・120P 飯田大隊主力の出航・・・・・132P 地底洞窟からの斬り込み特攻・・・・・159P 第五章 海中五十キロ伝令 死の海は荒れ狂っていた・・・・・166P 沖縄健児の本懐・・・・・174P 荒海とフカの群れ・・・・・178P 去り行く人々と征く人・・・・・182P 第六章 史上最大の洞窟戦闘 敵を洞窟に誘って全滅する・・・・・188P 北地区必殺の戦法・・・・・191P 北地区の落城・・・・・195P 米軍よ、早く投降せよ・・・・・197P 第七章 闘魂は尽きず 岩も人も焼くナパーム弾・・・・・206P 主要陣地は洞窟の中・・・・・210P 暴風雨下の激戦・・・・・216P 物量と科学力に圧迫されて・・・・・221P 水源地を敵に渡すな・・・・・225P 水が闘志を支える・・・・・227P 火焔に攻めたてられる恐怖・・・・・231P 米軍を救った戦法・・・・・233P 逼迫する日本軍の戦闘拠点・・・・・238P 第八章 「サクラ・サクラ」 大山戦闘指揮本部危うし・・・・・241P 灼熱の闘志と米軍総攻撃・・・・・249P 壮烈な玉砕・・・・・255P あとがきにかえて・・・・・・・・・・261P
関連書籍
「アンガウル、ペリリュー戦記 玉砕を生きのびて」 「証言記録 生還 玉砕の島ペリリュー戦記」 「英霊の絶叫―玉砕島アンガウル」 「ペリリュー・沖縄戦記」
関連項目
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