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書籍(参考資料)
「太平洋戦争航空史話(下)」
基本情報
「太平洋戦争航空史話」
著者:秦 郁彦 出版社:冬樹社 定価(税込):1500円(1980年) 初版発行:1980年8月 JP番号:80037711 ASIN:B000J861XI
「太平洋戦争航空史話(下)」
著者:秦 郁彦 出版社:中央公論新社 中公文庫 定価(税別):781円(2001年) 初版発行:1995年7月18日 日本図書コード ISBN-10:4122023718 ISBN-13:9784122023710
書籍概要
大東亜戦争に於ける、日本陸海軍機関連の戦記を纏めた短編集である。
本書は、それぞれ独立した15の戦記から成っている。 尚、第一章から第十五章は「太平洋戦争航空史話(上)」に収録されている。
第十六章では、日本で初めての女流飛行家に焦点があてられている。戦前の大正後期から昭和初期にかけて活躍した女性の操縦士(パイロット)について調査が成されており、当時の飛行機操縦訓練の制度や民間操縦士の活動の様子が紹介されている。また、本章では、逓信省が昭和13年(1938年)に開校した航空機乗員養成所についても言及されており、大東亜戦争における航空機輸送に関しても紹介されている。 第十七章では、海軍の艦上偵察機「彩雲」とその装備部隊である第一二一航空隊に焦点が当てられている。一二一空は、「彩雲」を初めて装備した外戦部隊として、昭和19年(1944年)2月にマリアナ諸島テニアン島に進出した。本章では、一二一空飛行隊長であった千早猛彦少佐らによる、マーシャル諸島メジュロ環礁の米海軍泊地に対する長距離偵察に関して詳しく紹介されている。この偵察は、昭和19年(1944年)6月に行われたマリアナ沖海戦へと続く重要な偵察であった。 第十八章では、米軍が開発した近接信管(VT信管:Variable Time Fuse)に焦点が当てられている。VT信管は、昭和17年(1942年)1月に実用化され、以後、米軍艦艇の対空射撃の精度を飛躍的に向上させた。そして、多くの日本軍機がVT信管によって撃墜されることになった。本章では、昭和18年(1943年)1月5日、ソロモン諸島ガダルカナル島南西海面に於いて行われた、日本海軍の「九九式艦上爆撃機」4機と連合軍艦隊との戦闘の様子が詳細に紹介されている。この戦闘は小規模であったが、恐らく史上初めてVT信管によって日本軍機が撃墜された戦闘であった。 第十九章では、捷一号作戦発動後、フィリピン諸島に於いて全滅した陸軍の重爆特攻隊に焦点が当てられている。昭和19年(1944年)12月13日、陸軍第五飛行団の飛行第七十四戦隊と飛行第九十五戦隊は、残存の「百式重爆撃機」9機で菊水特攻隊を編成、翌14日、菊水隊はネグロス島パナイ湾を目指して出撃したが、米軍機の邀撃によって全機が未帰還となった。本章では、菊水隊搭乗員49名の内、奇跡的に生還した2名の証言を基に、このときの様子が詳細に紹介されている。 第二十章では、第二次真珠湾攻撃として計画・実行された日本海軍の「K作戦」に焦点が当てられている。昭和17年(1942年)3月3日、マーシャル諸島ウオッゼ島を発進した「二式大型飛行艇」2機は、途中のフレンチフリゲート礁で燃料補給を行った後、ハワイ諸島オアフ島上空に侵入して空襲をを行った。この空襲はオアフ島真珠湾の偵察と港湾施設の破壊を目的としていたが、戦術的にはあまり効果がなく、以後、米軍の警戒が厳重になるという戦略的影響が大きかった。 第二十一章では、西部ニューギニアに於ける陸軍の飛行第五戦隊の「二式複座戦闘機『屠竜』」4機に焦点が当てられている。昭和19年(1944年)5月27日、西部ニューギニアのビアク島に来襲した米軍艦隊に対し、飛行第五戦隊長の高田勝重少佐以下4機の「二式複戦」が攻撃を行った。この攻撃で高田戦隊4機は全機未帰還となったが、戦隊長機の通信士1名が奇跡的に生還し、その最後の様子が明らかにされた。本章では、高田隊の攻撃に対して、自発的な特攻攻撃に準ずる扱いとして感状が出され、その後の特攻のさきがけと位置づけられていった可能性に関しても言及している。 第二十二章では、大東亜戦争初期に於けるフィリピン空軍に焦点が当てられている。昭和10年(1935年)5月、当時はアメリカの植民地であったフィリピンに於いて、米軍の指導の下に空軍が創設された。この時に第一期のパイロットして活躍したジーザズ・A・ヴィラモア大尉は、大東亜戦争開戦劈頭の昭和16年(1941年)12月9日・12日、フィリピン諸島に来襲した日本軍機に対して、少数の列機を率いて旧式の「ボーイング P-26」で迎撃に飛び立った。戦果を挙げる事はできなかったが、ヴィラモア大尉はフィリピン空軍の英雄として名を知られるようになった。本章では、ヴィラモア大尉の大東亜戦争中に於ける活躍と、戦後の不遇な時代とが紹介されている。 第二十三章では、大東亜戦争末期の沖縄諸島周辺に於いて活躍した海軍芙蓉部隊に焦点が当てられている。芙蓉部隊は、昭和20年(1945年)2月頃に美濃部正少佐の発案によって編成され、夜間銃爆撃を目的とした夜間戦闘機部隊であった。同年3月末から沖縄諸島周辺に於ける夜間銃爆撃という通常攻撃を粘り強く行い、8月までの4ヵ月間に渡って戦い抜いた。本章では、芙蓉部隊の戦歴を紹介しつつ、沖縄本島上空で撃墜されながらも奇跡的に生還した隊員の苦闘の様子が紹介されている。 第二十四章では、大東亜戦争末期に行われた宮城県女川湾に対する空襲に焦点が当てられている。昭和20年(1945年)8月9日・10日、宮城県女川湾周辺に対して英海軍艦載機の空襲が行われ、湾内に停泊していた小型の艦船多数が撃沈破された。この時、英軍機1機が撃墜され、湾内に墜落した。本章では、この時に空襲を受けた艦船の詳細と、撃墜された英軍機の詳細が紹介されている。 第二十五章では、大東亜戦争初期、シンガポール北東沖で行われた、英空軍機による日本軍船団への攻撃に焦点が当てられている。昭和17年(1942年)1月26日、マレー半島の南東のエンドーに航空資材を輸送中であった日本軍船団に対し、旧式の雷爆撃機を含む英軍機延べ79機が攻撃を行った。本章では、この時に攻撃に参加した英軍機と迎撃した日本陸軍機の詳細が紹介されている。 第二十六章では、特攻隊員として戦死した元プロ野球選手石丸進一少尉に焦点が当てられている。石丸進一少尉は、昭和16年(1941年)から昭和18年(1943年)にかけて活躍した投手であったが、日本大学に在籍中の昭和18年(1943年)12月、所謂学徒出陣によって海軍に入隊、翌昭和19年(1944年)2月には第十四期飛行予備学生となり、戦闘機搭乗員としての訓練を続けていたが、昭和20年(1945年)2月、筑波航空隊に於いて特攻隊に配属された。本章では、石丸少尉が、昭和20年(1945年)5月11日、第五筑波隊の一員として出撃するまでの様子が描かれている。 第二十七章では、ソロモン諸島に於いて壊滅した横浜航空隊に焦点が当てられている。昭和17年(1942年)5月3日、海軍陸戦隊はソロモン諸島ツラギ島・ガブツ島・タナンボコ島を占領した。直ちに水上機基地が設営され、横浜航空隊の「九七式大型飛行艇」「二式水上戦闘機」が進出、7月には対岸のガダルカナル島に飛行場の建設が開始された。本章では、昭和17年(1942年)8月7日、米軍がガダルカナル島に上陸した際、同時にツラギ島・カブツ島の日本軍水上機基地に対して行った空襲と上陸、さらにその後の島内での戦闘の様子が詳細に紹介されている。 第二十八章では、支那事変に於いて使用されたイタリア製重爆撃機「BR-20」に焦点が当てられている。昭和12年(1937年)7月7日に勃発した支那事変に於いて、当初、陸軍は中国内陸を空襲できる重爆撃機を十分に整備していなかった。そこで、イタリアからフィアット社製の重爆撃機「BR-20」を輸入し、「イ(伊)式重爆撃機」として短期間使用した。本章では、「イ式重爆」の導入や部隊での運用の様子が紹介され、昭和14年(1939年)2月に行われた蘭州への空襲に於いて、飛行第十二戦隊・飛行第九十八戦隊に配備された「イ式重爆」の状況が詳細に描かれている。 第二十九章では、映画「戦場にかける橋」(1957年:アメリカ)で有名になった泰緬鉄道のクワイ川(クウェー川)鉄橋に焦点が当てられている。泰緬鉄道は、タイからビルマへの戦略鉄道として、昭和17年(1942年)6月から昭和18年(1943年)10月にかけて建設された。最大の難所はカンチャナブリー付近のクワイ川(旧名:メクロン川)の架橋であった。本章では、クワイ川に架けられた鉄橋と木橋に関して紹介され、この橋に対する米軍の爆撃の様子も詳細に記述されている。 第三十章では、海軍の第三四三航空隊に焦点が当てられている。三四三空(2代目)は、大東亜戦争末期、「紫電二一型(紫電改)」を装備した制空戦闘機隊として誕生し、戦闘三〇一・戦闘四〇七・戦闘七〇一・偵四の4個飛行隊で編成されていた。本章では、部隊創設までの経緯、編成や戦術、各飛行隊長について紹介され、昭和20年(1945年)3月19日の初陣から終戦に至るまでの半年間の戦歴も詳細に記載されている。
本書には、日本海軍関連が6つ、日本陸軍関連が4つ、航空機一般に関するものが1つ、計11の短編戦記が収録されている。何れの戦記も詳細な調査と関係者への取材を元に書かれており、戦史資料としての価値も高い。 本書は、大東亜戦争に於ける日本陸海軍の航空戦史を知る上では欠かせない1冊であろう。
目次
第十六章 「雲のじゅうたん」考 女流飛行家第一号の周辺 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11P 物語のあらすじ 兵頭精嬢の奮闘 伝説の女たち 女流飛行家の行方 及位嬢郷土を飛ぶ 阿部少年モレスビーに散る 仙台十期生の運命 第十七章 メジュロ環礁を偵察せよ 我に追いつく敵機なし ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33P 一二一空と彩雲 メジュロの米空母群 千早少佐の登場 千早機メジュロへ飛ぶ 判読された米空母 中止された夜間雷撃 千早隊長帰らず 三十歳の海軍大佐 第十八章 近接信管の勝利 ガ島沖の九九式艦爆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57P 魔術的新兵器の着想 ボフォースの威力 ムンダ砲撃の帰路 九九艦爆突入す 近接信管の犠牲者 広がった格差 第十九章 菊水特攻隊の最期 生還者の証言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・75P 第五飛行師団比島へ スール海に現れた米艦隊 菊水隊出撃す パナイ湾上空の血戦 捕われの日々 小さな疑問 第二十章 真珠湾上空の二式大艇 K作戦の光と影・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95P 着想 準備 出撃 爆撃 推理 ミッドウェーに死す 再挙 中止 第二十一章 高田戦隊突入す 特攻のさきがけ・・・・・・117P 関が原ビアク島 独断の出動 ビアク島沖へ 本宮曹長の証言 漂流と生還 特攻第一号か 第二十二章 ヴィラモア大尉の栄光と悲運 マニラ上空のP-26・・・・・・・・・・・・・・・・・・・139P フィリピン空軍の誕生 サブラン上空の挑戦 バタンガス上空の血闘 バターン半島の偵察行 ゲリラの戦士へ 伝説の英雄 第二十三章 陶飛曹長の終戦 芙蓉部隊と美濃部戦法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・157P ラバウルの斜銃 特攻拒否の美濃部戦法 芙蓉部隊の誕生 われ火災、自爆す 恩納岳の遊撃隊 服部ドクターの友情 密輸船での帰国 第二十四章 女川湾に死す 天草対グレー大尉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・179P 窮地の三陸航路 ティルピッツ攻撃の勇士 女川湾に向かえ 死闘する天草 グレー大尉の最期 海底に眠る一五八名 第二十五章 エンドー沖の空戦 老若男女うちつれて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・201P シンガポールに迫る エンドー沖へ 複葉機の墓場 火炎に包まれて 老若男女うちつれて 英軍の復讐 第二十六章 最後のキャッチボール 石丸進一と筑波特攻隊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・221P 二十勝の新人投手 航空隊へ 筑波特攻隊の編成 鹿屋基地へ 残された署名簿 第五筑波隊突入 日本野球ハ 第二十七章 横浜航空隊の最後 九七式大艇炎上す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・245P 大艇隊ソロモンへ ウオッチタワー作戦 敵猛爆中 ツラギ落つ フロリダ島への脱出 海底の破片 第二十八章 中国大陸のイ式重爆 一二戦隊の蘭州爆撃・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・267P ムッソリーニの贈物 スペイン内乱のBR-20 イ式をめぐる悪評 暁の蘭州奇襲 火を噴くイ式重爆 ”神鷲”奮戦す 第二十九章 クワイ川鉄橋を爆撃せよ 「戦場にかける橋」異聞・・・・・・・・・・・・・・・・・・291P 泰緬鉄道の起工 メクロンの鉄橋と木橋 崩れ落ちた鉄橋 ヘンダーソン中尉の爆撃 生き残った木橋 恩怨の彼方へ 第三十章 三四三空始末記 日本海軍最後の戦闘機隊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・311P 三人の飛行隊長 源田構想 満を持して 敵機、当隊上空に向かう 壊滅したホーネット隊 落日 三四三空は断じて降伏しない 参考文献および資料提供者一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・335P あとがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・345P
関連書籍
「遠い島 ガダルカナル」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第二十七章 横浜航空隊の最後 九七式大艇炎上す 245P) 「激闘マリアナ沖海戦」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第十七章 メジュロ環礁を偵察せよ 我に追いつく敵機なし 33P) 「栗田艦隊 レイテ沖海戦秘録」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第十九章 菊水特攻隊の最期 生還者の証 75P) 「ラバウル海軍航空隊」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第十八章 近接信管の勝利 ガ島沖の九九式艦爆 57P) (第二十七章 横浜航空隊の最後 九七式大艇炎上す 245P) 「機動部隊」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第十七章 メジュロ環礁を偵察せよ 我に追いつく敵機なし 33P)
「重い飛行機雲 太平洋戦争日本空軍秘話」 ・・・・・・・・(第二十三章 陶飛曹長の終戦 芙蓉部隊と美濃部戦法 157P) (第三十章 三四三空始末記 日本海軍最後の戦闘機隊 311P) 「遥かなる俊翼 日本軍用機空戦記録」・・・・・・・・・・・・・(第十七章 メジュロ環礁を偵察せよ 我に追いつく敵機なし 33P) (第三十章 三四三空始末記 日本海軍最後の戦闘機隊 311P) 「撃沈戦記」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第二十五章 エンドー沖の空戦 老若男女うちつれて 201P) 「写真が語る 「特攻」伝説」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第十九章 菊水特攻隊の最期 生還者の証言 75P) (第二十六章 最後のキャッチボール 石丸進一と筑波特攻隊 221P)
「ガダルカナルを生き抜いた兵士たち」・・・・・・・・・・・・・・・(第二十七章 横浜航空隊の最後 九七式大艇炎上す 245P)
関連項目
「タイ」>> 「カンチャナブリー市街」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・クウェー川鉄橋・クウェー川鉄橋駅 第二次世界大戦博物館・泰緬鉄道博物館・JEATH戦争博物館 「カンチャナブリー郊外」・・・・・・・・・・・・・・・・・・チョンカイ共同墓地・カオプーンの切り通し
「環礁内の海上・海中(トラック諸島)」>> 「二式飛行艇(二式大艇)」
「パールハーバー(真珠湾)周辺(ハワイ諸島オアフ島)」>> 「太平洋航空博物館」>> 「K作戦(第二次真珠湾攻撃)の説明」
「デイトン(アメリカ中西部)」>> 「国立米空軍博物館」>>「紫電改」
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