インディアナ戦争記念碑群(Indiana War Memorials)(詳細) ・兵士と水兵の記念碑(Soldiers & Sailors Memorial) ・インディアナ世界大戦記念館(Indiana World War Memorial) ・インディアナ戦争記念博物館(Indiana War Memorial Museum) 展示内容詳細はこちら 火器展示詳細はこちら ・退役軍人記念プラザ(Veterans Memorial Plaza) ・在郷軍人会モール(American Legion Mall) ・米海軍重巡洋艦「インディアナポリス」記念碑(USS Indianapolis Memorial)
インディアナポリス市街中心部に、「インディアナ戦争記念碑群(Indiana War Memorials)」と呼ばれる、記念碑・記念館・公園等が集まった場所がある。
「兵士と水兵の記念碑(Soldiers & Sailors Memorial)」、明治34年(1901年)に建てられた。(←)
「インディアナ世界大戦記念館(Indiana World War Memorial)」と「University Park」。(→) 「インディアナ世界大戦記念館」の内部には「インディアナ戦争記念博物館(Indiana War Memorial Museum)」がある。
これら一連の記念碑群は、大正8年(1919年)、第一次世界大戦に於けるインディアナ州出身戦没将兵の慰霊を目的に建設が始まった。それ以降、同州出身戦没将兵の慰霊や、同州出身の退役軍人の顕彰を目的として拡張され、現在に至る。(公式HP)
「在郷軍人会モール(American Legion Mall)」、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争に於ける戦没者慰霊碑がある。(←)
「米海軍重巡洋艦「インディアナポリス」記念碑(USS Indianapolis Memorial)」、市街中心部から少し離れた場所にある。。(→)
インディアナ州中央のインディアナポリス市街中心部にある。 インディアナポリスはシカゴから南東に約300km(190マイル)の場所である。
シカゴからは行く場合は、「州間高速道路65号線(Route 65)」を南に約300km(190マイル)行くとインディアナポリスに到着する。
インディアナポリス市街の北側と東側を囲むように「州間高速道路65号線(Route 65)」が通っており、市街への出口(Exit)がある。
市街北側にある「113出口(Exit 113)」で降りた場合、そのまま東に進むと「Meridian St.」と「Pensylvania St.」があるので、これらを左折して南に向かうと市街中心部へ行ける。 市街東側にある「111出口(Exit 111)」で降りた場合、「Washington St.」に出るので、そのまま西に1300m程進むと「Illinois St.」がある。これを右折して北へ向かうと市街中心部へ行ける。
インディアナポリス市街の南側には「州間高速道路70号線(Route 70)」が通っており、西から来た場合は、「78B出口(Exit 78B)」から降りることが出来る。降りると「Illinois St.」があるのでこれで北へ向かうと市街中心部へ行ける。
市街中心部の「Pensylvania St.」と「Meridian St.」に挟まれた場所一帯が、「インディアナ戦争記念碑群(Indiana War Memorials)」である。 「米海軍重巡洋艦「インディアナポリス」記念碑(USS Indianapolis Memorial)」のみ、中心部から西に600m程の場所にある。
インディアナポリス市街中心部の道路は一方通行が多く、「Pensylvania St.」と「Meridian St.」は南行き、「Illinois St.」は北行きである。市街中心部の道路は碁盤の目状になっているので迷うことは無いだろう。また、道路の名前に、アメリカ各地の州の名前が付けられているのが面白い。
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「兵士と水兵の記念碑(Soldiers & Sailors Memorial)」である。南北戦争に従軍したインディアナ州出身の将兵を記念し、明治22年(1889年)に建設が開始された。明治34年(1901年)に完成、高さは約87m。(←)
その後も、各地の戦争・戦役で戦没したインディアナ州出身者を奉る慰霊塔となっている。
明治35年(1902年)の「記念碑」の様子。(→) 「Market Street」から東向きに「記念碑」の西面を見ている。写真左が北、写真右が南。当時は高い建物が無く、「記念碑」が突出していた。
平成23年(2011年)5月現在の「記念碑」の南面(写真左 ←)と明治31年(1898年)の「記念碑」の南面(写真右 ←)。現在、補修工事中である。 「記念碑」の右後ろ(北東)に見える「Christ Church Cathedral」は、安政4年(1857年)に建てられ、「記念碑」が建てられた時からある建物である。
20世紀初めの「記念碑」周辺の様子を描いた絵葉書。「記念碑」の西面を見ている。(→)
「記念碑」の四隅には、当時の主要な兵科であった歩兵・騎兵・砲兵・水兵の像がある。
「記念碑」東面の「戦いのレリーフ」。(←) 自由の女神に率いられた将兵が敵と戦う様子を表している。躍動感あふれる自由の女神、突撃する騎兵、銃を構える歩兵、斃れた兵士等、戦いの激しさが表現されている。
「記念碑」西面の「平和のレリーフ」。(→) 戦いが終わり、平和がもたらされた様子を表している。勝利を宣言する自由の女神、女神と共に凱旋する将兵、家族と再会する兵士が表現されている。
100年ほど前の写真である。「記念碑」の西、「Market St.」の先に「インディアナ州議事堂」が見える。「記念碑」の上から撮影されている。(←)
この「インディアナ州議事堂」は、明治11年〜(1878年)〜明治21年(1888年)に5代目として建設され、現在に至る。(→)
現在の「インディアナ州議事堂」が建てられた当時は、周囲に高い建物も無く、一際目立っていたが、現在は周囲の建物の方が高い。
インディアナポリス市街中心部である。 市街中心部までは「インディアナ戦争記念碑群」の歩き方を参照。
「インディアナ戦争記念碑群」の南端、「Meridian St.」と「Market St.」の交差点にある。ここは「Monument Circle」と呼ばれるロータリーになっており、ロータリーの中央に「記念碑」がある。また、ロータリーの北東の角に「Christ Church Cathedral」がある。
「インディアナ州議事堂」は、「記念碑」から西側の「Market St.」の突き当たりである。
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「インディアナ世界大戦記念館(Indiana World War Memorial)」である。(←) 手前は「University Park」である。 「インディアナ世界大戦記念館」は 第一次世界大戦に従軍した退役軍人を記念し、大正15年(1926年)に建設が開始され、建物は昭和8年(1933年)11月11日に落成したが、内部と周囲も含めた完成は昭和40年(1965年)であった。
マウソロス霊廟をイメージしたネオルネッサンス様式のデザインで、インディアナライムストーン(石灰岩)を使用、高さは64m。(→)
「インディアナ世界大戦記念館」は在郷軍人会(American Legion)によって維持管理されており、建物の中には講堂や事務所がある。(←)
建物の中央には戦没者を祀る立派な霊廟があり、巨大な星条旗が掲げられている。(→) また、建物の地下には「インディアナ戦争記念博物館(Indiana War Memorial Museum)」があり、独立戦争から南北戦争、米西戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争に至るまで、米国の経験した戦争に関する展示が成されている。
・博物館入口 ・植民地から独立国へ(1775年〜1848年) ・南北戦争と西部への領土拡張(1848年〜1914年)@ ・南北戦争と西部への領土拡張(1848年〜1914年)A ・第一次世界大戦(1914年〜1940年)@ ・第一次世界大戦(1914年〜1940年)A ・第二次世界大戦(1941年〜1945年)@ ・第二次世界大戦(1941年〜1945年)A ・冷戦(1945年〜1991年) ・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争 ・イラク戦争・対テロ戦争 ・重巡洋艦「インディアナポリス」に関する展示@ ・重巡洋艦「インディアナポリス」に関する展示A ・霊廟(Shrine Room)
<火器展示詳細> ・第一次世界大戦@ ・第一次世界大戦A ・第二次世界大戦@ ・第二次世界大戦A ・朝鮮戦争・ベトナム戦争
インディアナポリス市街中心部である。 市街中心部までは「インディアナ戦争記念碑群」の歩き方を参照。
「インディアナ戦争記念碑群」の中央、東西を「Pensylvania St.」と「Meridian St.」に、南北を「Vermont St.」と「Michigan St.」に囲まれた場所が「インディアナ世界大戦記念館」である。
「インディアナ世界大戦記念館」の建物の中に「インディアナ戦争記念博物館」がある。入口は建物の裏(北側)である。
「インディアナ世界大戦記念館」の南側、「Vermont St.」を挟んで「University Park」がある。
入場料:無料
開場時間:09:00-17:00(水曜〜日曜)
休館日:月曜、火曜
HP:http://www.in.gov/iwm/2333.htm
電話:(317)232-7615
(2011年現在)
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「退役軍人記念プラザ(Veterans Memorial Plaza)」である。「インディアナ世界大戦記念館」の直ぐ北側にある公園である。(←)
「退役軍人記念プラザ」の北側から南側を見る。「インディアナ世界大戦記念館」とは「Michigan St.」を挟んでいる。(→)
「退役軍人記念プラザ」は、昭和5年(1930年)に建設された。中央に塔(オベリスク)は高さ約30m(100フィート)、完成は大正12年(1923年)である。塔の両側には全米50州の州旗が掲揚されている。
台座の4面に1.2m×2.4mのパネルがあり、法・科学・信仰・教育を表すレリーフが彫られている。(←)
昭和19年(1944年)12月24日〜28日、「退役軍人記念プラザ」で行われた、戦意高揚映画「Winged Victory」(1944年:アメリカ)のプロモーションイベントでの一こま。(→) 塔の側の展示用テントの前に、ドイツ軍から捕獲した「メッサーシュミット Bf109」や米陸軍の戦闘機「P-47 サンダーボルト」、米陸軍のグライダー「CG4-A」が展示されている。他にも、米軍の化学戦装備や携帯食料(Kレーション・Cレーション)が展示されていたそうである。
インディアナポリス市街中心部である。 市街中心部までは「インディアナ戦争記念碑群」の歩き方を参照。
「インディアナ戦争記念碑群」の中央、東西を「Pensylvania St.」と「Meridian St.」に、南北を「Michigan St.」と「North St.」に囲まれた場所が「退役軍人記念プラザ」である。
「North St.」を挟んで北側が「在郷軍人会モール」、「Michigan St.」を挟んで南側が「インディアナ世界大戦記念館」である。
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「インディアナ戦争記念碑群」の最も北側に「在郷軍人会モール(American Legion Mall)」がある。(←) 「North St.」から「St Clair St.」まで南北300m程の公園で、広い芝生や慰霊碑・祭壇がある。
大正14年(1925年)に「インディアナ戦争記念碑群」の一部として建設が始まり、在郷軍人会(American Legion)の本部も置かれた。
「在郷軍人会モール」の北端には戦没者を慰霊する祭壇がある。後ろに見えるのは「中央図書館(Central Library)」。(→)
南側の「退役軍人記念プラザ」と「インディアナ世界大戦記念館」を見る。先には市街中心部の高層ビルが見えるが、この公園には市街の喧騒から隔離されるかのように美しい芝生が広がっている。(←)
芝生の両脇は土手のように小高くなっており、素敵な並木道の遊歩道が整備されている。市民の憩いの場となっており、手をつないで歩く母と子の姿が印象的であった。(→)
芝生の両脇の遊歩道に沿って、インディアナ州出身戦没将兵の為の慰霊碑が建てられている。
芝生の東側には、第二次世界大戦(1939年〜1945年)に於ける戦没将兵の為の慰霊碑が建てられている。(←) 第二次世界大戦には、インディアナ州から39万5982名が従軍、17700名が負傷、11680名が戦死した。
慰霊碑の前の石塔に、第二次世界大戦に於いて米軍が戦った戦場の名前が刻まれている。(→) ソロモン諸島ブーゲンビル島、マリアナ諸島サイパン島、パラオ諸島ペリリュー島、フィリピン諸島レイテ島、硫黄島、沖縄本島等、大東亜戦争に於ける激戦地の地名も見受けられる。
どの国でも、祖国や郷土の為に命を捧げた将兵に対する慰霊は当然の事である。それは戦争の勝敗には関係ない。しかし、日本では今も尚、英霊への慰霊を拒んだり、自虐的歴史観を是とする偏った考え方の人間が存在する事は恥ずべき事である。
直ぐ隣(南側)には、朝鮮戦争(1950年〜1953年)に於ける戦没将兵の為の慰霊碑が建てられている。(←)(→) 朝鮮戦争に於けるインディアナ州出身戦没将兵は、992名であった。戦没将兵全員の氏名と戦死した日が彫られている。(詳細)
芝生の西側には、ベトナム戦争(1960年〜1975年)に於ける戦没将兵の為の慰霊碑が建てられている。(←) ベトナム戦争に於けるインディアナ州出身戦没将兵は、1611名であった。戦没将兵全員の氏名と戦死した日が彫られている。(詳細)
慰霊碑には、戦地から家族に宛てた手紙の文面が刻まれている。彼らは遂に家族と再会する事は出来なかった。どの国に於いても、戦場の将兵の心には常に祖国や大切な人々に対する想いがあった。(→)
「在郷軍人会モール」の直ぐ西隣に「スコティッシュライト大聖堂(Scottish Rite Cathedral)」がある。 ちょうど、ベトナム戦争に於ける戦没将兵の慰霊碑の後ろである。(←)
「スコティッシュ・ライト大聖堂」は、昭和2年(1927年)〜昭和4年(1929年)にかけて建設されたネオゴシック様式の建物である。世界中に会員をもつフリーメイソン(Freemasonry)の施設である。
インディアポリスでは有名な歴史的建造物で、年間約100万人の観光客が訪れる。(→)
インディアナポリス市街中心部である。 市街中心部までは「インディアナ戦争記念碑群」の歩き方を参照。
「インディアナ戦争記念碑群」の北側、東西を「Pensylvania St.」と「Meridian St.」に、南北を「North St.」と「St Clair St.」に囲まれた場所が「在郷軍人会モール」である。南北 m程。
「North St.」を挟んで南側が「退役軍人記念プラザ」である。また、「在郷軍人会モール」の西側、「North St.」の北側に「スコティッシュ・ライト大聖堂」がある。
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「米海軍重巡洋艦「インディアナポリス」記念碑(USS Indianapolis Memorial)」である。(←)
第二次世界大戦中に活躍した米海軍の重巡洋艦「インディアナポリス」を記念して、平成6年(1995年)8月2日、インディアナポリス市街の運河沿いに建てられた。(→)
重巡洋艦「インディアナポリス(USS Indianapolis:CA-35)」は、ポートランド級重巡洋艦の2番艦として、昭和5年(1930年)3月31日に起工され、昭和7年(1932年)11月5日に竣工した。
米海軍太平洋艦隊に配属され、大東亜戦争に於いては、各種作戦に参加して日本軍と戦った。 昭和20年(1945年)7月16日〜26日、マリアナ諸島テニアン島に原子爆弾を輸送する任務に就いた。その後、7月30日、日本海軍の潜水艦「伊ー五八」によって撃沈され、乗組員1197名の内880名が戦死、生存者は僅か317名であった。(詳細)
在りし日の重巡洋艦「インディアナポリス」。(←)昭和6年(1931年)5月31日、ニューヨーク港にて。 ゴールデンゲートブリッジをくぐる重巡洋艦「インディアナポリス」。昭和13年(1938年)。(→)
「記念碑」は花崗岩と石灰岩で出来ており、艦の形をイメージしている。(←) 黒い花崗岩の石版の表には、在りし日の艦の雄姿が描かれている。その下の石灰岩の台座の前後には、艦の戦歴が刻まれている。尚、「CA-35」は艦の艦籍番号である。
黒い花崗岩の石版の裏には、最後の航海時の全乗組員1199名の氏名が彫られている。 氏名に☆が付いているのは生存者である。乗組員1197名の約3割(317名)にしか☆が付いてない。残る880名は二度と還ることは無かった。(→)
「記念碑」は、インディアナポリス市街の西側を南北に流れる運河沿いに建てられている。(←)(→)
この運河は天保10年(1839年)に建設が開始された。その後、1980年代に、インディアナポリス市街再開発の一環として、運河跡を利用した公園が整備された。 インディアナポリス市街の中心地から歩いて10分程の場所であるが、都会の謙遜を感じさせない静かな場所であり、市民の憩いの場にもなっている。また、大学等の教育・研究施設も集まっている。
「記念碑」から南側(←)と北側(→)を見る。 美しい運河沿いは木々が並ぶ遊歩道になっており、市民の散歩やジョギングコースでもある。その両端には閑静な住宅が立ち並び、日曜日には住民が運河沿いのカフェのバルコニーでくつろぐ姿も見られる。売りに出されている住宅も多く、静かで眺めも良いので別荘に最適かもしれない。
重巡洋艦「インディアナポリス」は大勢の乗組員と共に海底に沈んだ。そして、運ばれた原子爆弾は日本に投下され、数十万人の一般市民の命を奪った。 その歴史の一端が、この平和で穏やかな場所の一角に遺されている。
インディアナポリス市街の西側を南北に流れる運河沿いにある。 市街中心部までは「インディアナ戦争記念碑群」の歩き方を参照。
「在郷軍人会モール」から「Walnut St.」を西に600m程行くと運河が見えてくる。運河の手前の橋のたもとにに「記念碑」がある。
或いは、「退役軍人記念プラザ」と「インディアナ世界大戦記念館」に挟まれた「Michigan St.」を西に600m程行くと、橋がある。 橋のたもとから運河の遊歩道に降り、運河沿いに北に300程行くと「記念碑」がある。
「Walnut St.」、運河沿いの道、「Michigan St.」と、一周できる。運河沿いにはカフェもあり、散策には良いコースであろう。
「インディアナ戦争記念博物館」には、重巡洋艦「インディアナポリス」に関する展示室(インディアナポリス博物館)があるので、こちらも併せて見学すると良いだろう。
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