国立米空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)

アメリカ中西部(シカゴ・デイトン・インディアナポリス・ルイスビル)

アメリカ中西部(シカゴ・デイトン・インディアナポリス・ルイスビル)の戦跡
大東亜戦争におけるアメリカ中西部(シカゴ・デイトン・インディアナポリス・ルイスビル)の歴史
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「国立米空軍博物館(国立アメリカ空軍博物館)」 −「Resarch & Development(研究機・試験機)」「Presidental Aircraft(歴代の大統領専用機)」 −

「国立米空軍博物館」の概略および歩き方
展示内容詳細

「国立米空軍博物館」 −「Resarch & Development(研究機・試験機)」「Presidental Aircraft(歴代の大統領専用機)」 − の展示内容

Resarch & Development(研究機・試験機)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ベル XV-3」、主翼両端のプロペラでヘリコプターのように垂直離着陸し、プロペラを90°前向きにして前進(水平飛行)、チルトローターと呼ばれる航空機である。昭和30年(1955年)8月に初飛行、チルトローターとしては世界初であったが、水平飛行可能になったのは昭和33年(1958年)12月であった。(←)

「ノースロップ タシトブルー」、昭和53年(1978年)〜昭和60年(1980年)にかけて使用されたステルス性能実験機である。(→)
実験データは「B-2」の開発に繋がっていった。愛称は「くじら(Whale) 」である。

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「フィッシャー P-75A イーグル」である。(←)
昭和18年(1943年)に長距離援護用として開発された米陸軍の戦闘機である。二重反転プロペラを装備していた。これは、互いに逆回転するプロペラによってトルクを相殺する効果があった。

機体中央に「アリソン V-3240」を搭載した。これは液冷V型12気筒の「アリソン V-1710」2基を並列にし、離翔2885馬力を出力した(→)

性能的に不十分と判断され、試作機(XP-75)8機と量産機(P-75A)6機が生産されたのみであった。

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「パイパー PA-48 インフォーサー」、昭和56年(1981年)、コスト低減の為に「P-51」の機体を利用して製作された対地攻撃機であるが、結局、9割近くが新設計になってしまう。試作機を含めて4機のみ製造。「P-51」の最終進化形ともいえなくもない珍品。

「ライカミング T-55L-9」(離翔2455馬力)の ターボプロップエンジンを搭載、機首左に排気口が見える。(←)

主翼下面に合計10箇所の兵装支持架があり、各種兵装を搭載する事が出来た。(→)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ノースアメリカン XB-70 バルキリー」、昭和39年(1964年)に初飛行した、高高度超音速戦略爆撃機である。モスクワまでマッハ3で飛行、核攻撃を行う事を目的に開発されたが、大陸間弾道弾の登場によって意義が薄れ、試作機2機のみが製造された。
試作2号機は事故で失われ、展示機は唯一現存する実機(試作1号機)である。(←)

超音速飛行時の衝撃派を利用する為、特異な機体形状をしている。全長56.6m、全幅32m。胴体の下に入ると大きさがよく分かる。胴体後部にはエンジン6基が装備されている。(→)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ノースロップ マクダネルダグラス YF-23A ブラック・ウィドウ2」、平成2年(1990年)8月27日に初飛行した試作ステルス戦闘機である。(←)(→)
昭和61年(1986年)、米空軍のATF(Advanced Tactical Fighter)計画で、「ロッキード YF-22」と試作競争を行った。結果、「YF-22」が採用されて後の「F-22 ラプター」となり、「YF-23」は不採用になった。「YF-23」は2機のみ製作され、展示機はその1号機(S/N 87-0800)である。
因みに、上には「XB-70 バルキリー」の機首と胴体前部が見えている。胴体前部の特徴的なエアインテーク(空気取り入れ口)の形状がよく分かる。

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「AFTI F-16」、「F-16FSD(全規模開発機)」の1号機を改造して製作され、昭和53年(1978年)から平成8年(2000年)まで使用されたAFTI(新型戦闘機技術統合: Advanced Fighter Technology Integration )研究機である。(←)

「ジェネラル・エレクトリックス J79-GE-15」、昭和37年(1952年)に開発されたターボジェットエンジンで、「F-4」「F-104」等に搭載された。
全長5.293m、重量1.678トン、アフターバーナー搭載、通常巡航推力1179kg、ミリタリー推力4944kg、離昇推力7711kg。(→)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ベル X-1B」である。昭和22年(1947年)10月14日、米陸軍パイロットのチャック・イェーガー大尉の操縦する試験機「ベル X-1」は、水平飛行で音速(マッハ1)を越えた人類初の乗り物となった。(←)
「ベル X-1B」は、「ベル X-1」に引き続き、空力特性研究機として昭和29年(1954年)に製作された。

その後、空力加熱などの実験に使用され、昭和33年(1958年)1月、液体酸素タンクに亀裂が生じた為に退役して現在に到る。
人類史上初めて月面に降りたニール・アームストロングもこの機体に搭乗した。 (→)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ロッキード YF-12A」、高高度超音速偵察機「A-12」を改造して製作された迎撃戦闘機である。(←)(→)
最高速度はマッハ3.35(時速3500km)、実用上昇限度は27000m。初飛行は昭和37年(1937年)。

正式採用されなかった為に生産機数は3機であり、内2機は事故で失われた。展示機はただ1機のみ現存する実機である。

「A-12」は、その後に「SR-71」の開発へと繋がっていった為、外見は「SR-71」に似ている。「SR-71」の実機は「Cold War」に展示されている。

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ダグラス X-3 ステレトゥ」、昭和27年(1952年)9月20日に初飛行した1機のみの超音速実験機。(←)

「ライアン X-13 バーティジェット」、昭和 年(19 年)に初飛行した垂直離陸(VTOL)実験機で、垂直に立てられた離着陸台からジェットエンジンの推力のみで垂直姿勢のまま浮揚した。その後、徐々に水平姿勢へと移行して飛行し、帰還時は、再び垂直姿勢に戻してから離着陸台に貼り付いた。2機のみ製作され、展示機は試作2号機。垂直姿勢で浮揚する姿はかなり不気味である。(→)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ノースロップ X-4 バンタム」。(←)
無尾翼・後退翼の実験機。昭和23年(1948年)〜昭和29年(1954年)まで使用され、各種飛行特性の実験が行われた。生産機数は2機。
後ろは「XB-70 バルキリー」の機首。

「ベル X-5」、昭和26年(1951年)6月20日に初飛行した可変翼実験機である。(→)
第二次世界大戦中にドイツで開発された「メッサーシュミット P.1101」を参考にしている。「P.1011」は未完成であった為、「X-5」は世界で始めて飛行した可変翼機となった。

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ノースアメリカン F-107A」、昭和31年(1956年)、戦闘爆撃機の試作競争として製作された。(←)
レーダーや兵装を搭載する為にインテークを機体上面に装着したが、明らかにパイロットの脱出が困難である。結果、不採用。3機のみの製作。

「ホーカー シドレー XV-6A ケストレル」(→)
イギリス空軍の垂直離着陸機「ホーカー シドレー ハリアー」の試作機である。
展示機は、昭和45年(1970年)、ここに運ばれた。その際、「C-5A ギャラクシー」で空輸された世界初の航空機になったそうである。

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ノースアメリカン X-15A-2」、昭和34年(1959年)9月17日に初飛行、高高度極超音速実験機。(←)
昭和38年(1963年)8月22日に「X-15A-3」が最高高度107960mを記録、昭和42年(1967年)10月3日に「X-15A-2」が最高速度時速7274km(マッハ6.72)を記録した。これ等は未だ破られていない。

「マーチン X-24A」、機体形状で揚力を得るリフティングボディ実験機。初飛行は昭和34年(1969年)4月17日。展示機は原寸大模型「SV-5J」で、実機は「X-24B」に改造された。これらの実験は、後のスペースシャトル開発にも生かされた。(→)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ロッキード NT-33A」、練習機の「T-33」を改造した操縦系統試験用機である。(←)
新規に設計されたフライ・バイ・ワイヤー(電気信号による操縦系統)を試験する為の機体で、前席が試験用操縦席、後席は非常用の通常の操縦席。

「ロッキードマーチン・ボーイング RQ-3 ダークスター」である。エイではない。(→)
平成8年(1996年)に開発された無人偵察機である。遠隔操作を受けることなく、離陸から着陸までプログラムされた通りに飛行して偵察任務をこなす、完全自律型であった。

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ベル P-59B エアラコメット」、米陸軍初のジェット戦闘機である。ジェットエンジンによる初飛行は昭和17年(1942年)10月2日で、ドイツ軍の「Me262」とほぼ同時期であった。性能的に不十分であった為、殆ど運用されなかったが、後のジェット戦闘機に繋がるレイアウトを実現していた。(←)

「チャンスボート LTV XC-142A」である。(→)
プロペラが翼ごと90°上向きに回転し、ヘリコプターのように垂直離着陸が可能である。離陸後は翼を水平にして前進する。チルトウイングと呼ばれる航空機である。

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「ロッキード P-80R」である。(←)
米陸軍初の実用ジェット戦闘機「P-80A」を改造した高速度試験機で、昭和22年(1947年)6月19日、当時の世界記録である時速1004kmを記録した。

「リパブリック XF-84H」、「F-84」を改造し、ターボプロップエンジン駆動のプロペラで超音速飛行を狙った実験機であった。昭和30年(1955年)7月初飛行、その後、時速836kmを記録するも、超音速飛行には失敗した。その騒音は地上整備員が卒倒する程であり、「サンダースクリーチ」と愛称(?)された。(→)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 壁沿いには、エンジンや装備品が展示されている。

航空機用空冷発動機(エンジン)、左から順に「ベントレー B.R.2」(1916年)・「アンザニ 10」(1913年)・「サルムソン Z-9」(1917年)、白くて背が高いのは扇風機である。エンジンではない。(←)

「ジェネラル・エレクトリックス J-31」、昭和18年(1943年)、米陸軍で初めて開発されたターボジェットエンジンである。イギリス製の「パワージェット W.1」を基に製作され、「P-59」に搭載されたが、性能は不十分であった。(→)

「Resarch & Development」 「Resarch & Development」 「MHU-12/M 弾薬搬送トレーラー」、各種航空機用兵装の輸送に使用される。上には「Mk.82 スネークアイ 500ポンド(239kg)通常爆弾」が搭載されている。「Mk.82」は現在も各国で現役である。(←)
上に見えているのは「XB-70 バルキリー」のエンジン、6基の内の右側3基である。

「GBU-15」、モジュラー誘導式爆弾システムで、昭和49年(1974年)に開発開始、昭和62年(1983年)に実戦配備開始。湾岸戦争(平成3年・1991年)で初めて実戦投入された。(→)
同じく、上に見えているのは「XB-70 バルキリー」の胴体後部、エンジンが見えている。

Presidental Aircraft(歴代の大統領専用機)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 「Resarch & Development(研究機・試験機)の格納庫の左隣には、「Presidental Aircraft(歴代の大統領専用機)」の格納庫がある。(←)
歴代の大統領専用機、通称「エアフォース・ワン」が展示されている。大統領専用機の運用は米空軍の管轄であり、「エアフォース・ワン」は大統領が搭乗した航空機の呼び出し符号(コールサイン)で、いかなる場合も最も高い優先度が与えられている。

格納庫内には、大型機4機・中型機4機の大統領専用機が展示されている。また、一部の研究機・試験機も展示されている。(→)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 「ダグラス VC-54C セイドリック・カウ」、昭和20年(1945年)2月4日〜2月11日 に行われたヤルタ会談に、当時の第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルトを運んだ大統領専用機である。その後、第33代大統領ハリー・S.・トルーマンも使用した。(←)

昭和22年(1947年)7月26日、トルーマン大統領は「セイドリック・カウ」機上で国家安全保障法に署名、結果、9月18日、米陸軍航空隊は、米空軍(U.S Air Force)として独立した。国家安全保障法の書面、大統領令第9877号の写し、署名したペンが展示されている(→)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 「ロッキード VC-140B ジェットスター」、昭和36年(1961年)に16機導入され、大型の「VC-137」が着陸できない小さな飛行場への大統領や政府要人の移動に使用された。展示機は機体番号61-2489で、リチャード・M・ニクソン大統領、ジェラルド・R・フォード大統領、ジミー・E・カーター大統領、ロナルド・W・レーガン大統領が使用した。(←)

「ロッキード VC-121E コロンバイン3」、昭和29年(1954年)に導入され、当時の第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワーが使用した。昭和31年(1966年)に退役。(→)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 「ダグラス VC-118 インディペンデンス」、第33代大統領ハリー・S.・トルーマンが使用した。愛称のIndependensehaは、トルーマン大統領の出身地がミズーリー州インディペンデンスだった事と、機体の納入日が昭和22年(1947年)7月4日の独立記念日(Independence Day)だった事に由来する。(←)

「ボーイング VC-137C SAM 26000」、昭和37年(1962年)に導入、大統領専用機としては初のジェット機で、ジョン・F・ケネディ大統領、リンドン・B・ジョンソン大統領、リチャード・M・ニクソン大統領が使用。(→)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 「エアロコマンダー U-4B」、昭和27年(1952年)開発された民間用小型輸送機を、米空軍では大統領専用機「U-4B」として使用した。昭和31年(1956年)〜昭和35年(1960年)まで、アイゼンハワー大統領が自宅療養していたゲティスバーグへの短距離移動に使用された。(←)

「ノースアメリカン T-39A セイバーライナー」、米空軍の汎用輸送機・各種練習機「T-39」の1機(機体番号:62-4478)で、昭和43年(1968年)〜昭和48年(1973年)まで、当時のジョンソン前大統領が使用した。

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 大統領専用機以外も展示されている。

「ビーチ C-45H エクスペディター」、昭和12年(1937年)に初飛行した、ビーチエアクラフト社の民間用小型輸送機「ビーチ モデル 18」が原型である。(←)
「モデル 18」からは、航法士訓練機「AT-7」、爆撃手訓練機「AT-11」、写真偵察機「F-2」が開発され、第二次世界大戦中に合計4526機が生産された。「AT-11」は「World War U」に展示されている。

「C-45H」は戦後に米空軍用に再生産され、昭和38年(1963年)まで運用された。(→)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 「ビーチ VC-6A」、1度だけ、第36代大統領リンドン・B・ジョンソン大統領とその家族を運んだ。その時、「レディバードスペシャル(Lady Bird Special)」と愛称された。Lady Birdは大統領夫人(Lady Bird Johnson)の事である。(←)

「ノースアメリカン F100D スーパーセイバー」、「F-100」の戦闘爆撃機型で、昭和31年(1956年)に登場した。(→)
展示機は、昭和39年(1964年)〜昭和43年(1968年)まで「サンダーバーズ」(アクロバット専用の飛行隊)使用されていた機体である。

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 「Resarch & Development」に入りきらなかった研究機・試験機(何れも珍品・絶品)が展示されている。

「マクダネル XF-58 ゴブリン」、昭和23年(1948年)8月23日に初飛行した試作護衛戦闘機である。(←)
決してタマゴヒコーキではない。

「XF-58」は、戦略爆撃機「B-36」の護衛機として計画された。「B-36」の航続距離に随伴するのは困難であった為、「B-36」の胴体内に収用して運搬する事が考えられた。(→)
所謂「Parasite Fighter」である。

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 母機の胴体内に収納される為、機体形状は独特であった。飛行中の母機から切り離され、再び母機に帰還する為、着陸用の車輪は無く、代わりに収納用のフックが装備された。
昭和 年(19 年)に初めて飛行中の母機(EB-29)からの飛行実験が行われたが、再収容に失敗して不時着、その後も実験が行われたが、母機への再収用が非常に困難であることが判明した。(←)
と言うよりも実験しなくも分かる気がする。
また、機体形状にも無理があり、護衛戦闘機としての性能も不十分であった為、計画は放棄された。生産数は試作機2機のみ。(→)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 「    」、昭和 年(19 年)に初飛行(初浮遊)した試作  機である。決して捕獲されたUFOではない。(←)

文章20(→)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 文章21(←)

(→)

「Presidental Aircraft」 「Presidental Aircraft」 航空機用エンジン始動車である。(←)
レシプロ航空機のエンジン始動時には、プロペラに勢いをつけて回転させる必要があり、これを人力で行うのは危険であった。そこで、航空機用のエンジン始動車が登場した。

エンジン始動車を使用している様子である。プロペラスピナーの先端に棒を取付けて、プロペラを回転させる事でエンジンを始動した。(→)

展示車は、大正後期(1920年代)〜昭和初期(1930年代)、米陸軍で使用されていた。当時、同様の車両は各国でも使用されていた。

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