市街地・チューク港周辺

トラック諸島−春島(ウエノ島・モエン島)

春島(ウエノ島・モエン島)の戦跡
大東亜戦争における春島(ウエノ島・モエン島)の歴史
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トラック諸島−春島(ウエノ島・モエン島)の戦跡

春島北部:市街地・チューク港周辺

市街地・チューク港周辺 市街地・チューク港周辺

日本軍砲台跡
慰霊碑
日本軍作業場跡地

「日本軍砲台跡」

日本軍砲台跡 日本軍砲台跡 春島北部の市街地からやや外れたトノッケン山の北の麓に「日本軍砲台跡」が遺されている。(←)
山の麓の崖に掘られた「洞窟」内に「砲座」が設けられている。「砲座」の前には石を詰めたドラム缶が防壁として並べられている。

「砲座」は山の麓のやや小高い場所にあり、西側の「チューク港」や北西側の「チューク国際空港」が見えている。(→)

「砲座」には艦砲1門が据え付けられている。各部の特徴から「安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)」と思われる。

日本軍砲台跡 日本軍砲台跡 「15cm速射砲」は、日露戦争(明治37年2月8日〜明治38年9月5日)で使用された艦砲で、大東亜戦争当時は既に旧式化していたが、沿岸砲台や船舶に転用されて終戦まで使用された。その為、「15cm速射砲」は太平洋各地の島嶼に遺されている。
トラック諸島では、春島東部のウィティポン山の「日本軍砲台」に「15cm速射砲」が遺されている。また、パラオ諸島バベルダオブ島マリアナ諸島サイパン島テニアン島にも複数遺されている。

「砲座」内は広く、天井も高い。(←)

「尾栓」や「駐退機」は失われている。(→)

日本軍砲台跡 日本軍砲台跡 「砲座」の奥は広い「洞窟」になっており、かつては「弾薬庫」として使用されていた。(←)
戦後は、「洞窟」「砲座」「砲」は管理する人がいなくなり、付近の現地人が勝手に分譲してしまったようである。「洞窟」にも現地人が住み着き、「洞窟」内部にはブロック塀などが築かれた。(→)

更に、「洞窟」内の住人が「砲台」の所有権を主張して見学料を要求したり、付近住民が物を売りつけようとする等、観光客とのトラブルがあったそうである。一時期は近くに「チューク州知事官邸」があり多少は抑制されていたが、現在は「官邸」も引払われてしまい、再び付近住民が好き勝手にやっているので、訪れる際は注意が必要である。

「日本軍砲台跡」の歩き方

春島北部の市街地の外れにある。

日本軍砲台跡 日本軍砲台跡 チューク国際空港」から南東に約1.5km、「チューク港」から東に約1.8km行くと春島の市街地に入り、「十字路」がある。

この「十字路」を右折して南に向かう。途中、右手(西側)に「チューク州立病院」がある。

更に南に向かい、「十字路」からしばらく行くと道が右に曲がっているので、道になりに進むと先に「T字路」がある。(写真右上 →)
「十字路」から「T字路」までは500m程である。

日本軍砲台跡 日本軍砲台跡 「T字路」を左(南側)に曲がって200程行くと、道の右側(西側)に「獣道」の入口がある。
(写真右中 →)

「獣道」を進んでいくと「洞窟」の入口があり、「砲座」に通じている。ちょうどトノッケン山の北の麓にあたる。

「日本軍砲台跡」は私有地内にあり、「洞窟」には現地人が住み着いている。見学や写真撮影をする場合、見学料として地権者(住民)に1人5ドルを支払う。

日本軍砲台跡 日本軍砲台跡 また、周辺は観光客目当ての物売りが多数いるが、相手にしないほうが良いだろう。

尚、「T字路」から200m程行った「獣道」の入口の先の前方に「貯水タンク」と比較的大きな「廃屋」見える。(写真右下 →)
この「廃屋」は嘗ての「チューク州知事官邸」であったが、現在は使用されていない。

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「慰霊碑」

慰霊碑 慰霊碑 春島北部の市街地に「慰霊碑」が建てられている。(←)
「慰霊碑」は、台座の上に球体が載り、台座には「和」の一字が彫られている。(→)

「慰霊碑」は、昭和55年(1980年)2月、トラック島戦没者慰霊碑建立委員会によって建立された。
また、「慰霊碑」の為のこの用地は、春島在住の森正隆氏が提供した。森正隆氏は、明治時代にトラック諸島に渡った森小弁の子孫である。現在、森(Mori)一族はトラック諸島の重要なポストを占める一番の実力者である。

慰霊碑 慰霊碑 碑文には以下のように刻まれている。(←)

この碑は南太平洋の戦闘(1941〜1945)に於いて、トラック島とその海域で犠牲になった軍人軍属在留日本人、マイクロネシア住民の方々の霊を祀り、その遺徳をしのび永世に伝える慰霊の碑である。
1980年2月 これを建つ
トラック島戦没者慰霊碑建立委員会

隣には同じ内容が英文で刻まれている。

「慰霊碑」の直ぐ後ろ(西側)は海である。(→)

「慰霊碑」の歩き方

春島北部の市街地の海沿いにある。

慰霊碑 慰霊碑 チューク国際空港」から南に900m程、または、「チューク港」から北に400m程行くと道路の海側(西側)に2階建ての「商店」がある。

「商店」の敷地前は前に大きな鉄の柵で道路と仕切られている。
「商店」の外観は、2012年3月現在では白と青緑の塗装であるが、以前にはピンクの塗装であった。時々、塗装し直しているようである。

「商店」に向かって右手(北側)に「慰霊碑」がある。「慰霊碑」は道路からも見えている。

因みに、「慰霊碑」から南に150m程行くと、島で唯一の韓国料理店である「オリエンタルレストラン」がある。
また、「慰霊碑」から北に300m程行くと「T字路」があり、ここを右折して東に行くと「チューク州立病院」や「日本軍砲台跡」に行ける。

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「日本軍作業場跡地」

日本軍作業場跡地 日本軍作業場跡地 春島北部の市街地に「日本軍作業場跡地」が遺されおり、米軍の「カマボコ兵舎(Quonset huts)」が複数遺されている。(←)

この周辺は、

「カマボコ兵舎」は、戦後に米海兵隊が進駐してきた際に建設され、兵員の宿舎として使用されたようである。(→)

日本軍作業場跡地 日本軍作業場跡地 「カマボコ兵舎」はトタン板を張り合わせて造られているのが分かる。(←)

現在、周辺には「トラックショッピングセンター」や「郵便局」「警察署」がある。(→)

「日本軍作業場跡地」の歩き方

春島北部の市街地の南にある。

日本軍作業場跡地 日本軍作業場跡地 チューク国際空港」から南に約1.4km行くと道路の左手(東側・山側)にの奥に「トラックショッピングセンター」がある。

「トラックショッピングセンター」の右側(南側)に「旧米軍兵舎」がある。
この一帯が「日本軍作業場跡地」である。

「トラックショッピングセンター」の向かい(西側・海側)はちょうど「チューク港」である。
また、直ぐ南には「シゲトストア」「グアム銀行」があり、島の繁華街として栄えている。

因みに、「トラックショッピングセンター」から南に550m程行くと、ダイビングショップやレストラン・バーを併設した「トラックストップホテル」がある。

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