・1万トン桟橋・重油タンク跡 ・夏島水上機基地跡 ・トラック富士(トロモン山:Mt.Tonomwan)
夏島南部、「支庁桟橋」のある湾の南西に「1万トン桟橋」と「重油タンク跡」が遺されている。
現在の「1万トン桟橋」「重油タンク跡」。(←) 当時、「1万トン桟橋」はトラック諸島で最大の桟橋であり、大型船舶が可能であった。」
昭和19年(1944年)2月17日〜18日、空襲中の米軍機から撮影した「1万トン桟橋」と「重油タンク」、高度約450mである。(→) 右下に「1万トン桟橋」と「重油タンク」が見える。空襲によって火災が発生している。
「トロモン山」を背景に現在の「1万トン桟橋」と「重油タンク跡」を見る。図の下には「夏島水上機基地跡」がある。(←)
同じアングルから見た、空襲下の「1万トン桟橋」と「重油タンク」である。 高度約350m、左に大きくバンクを打っている米軍機の後席から撮影している。投弾後に上昇中の艦上爆撃機(「ヘルダイバー」)と思われ、「重油タンク」付近から爆煙が立ち昇っているのが分かる。(→)
「重油タンク」は鉄製で昭和 年(19 年)に建設された。 3基(10000トン×2基・7000トン×1基)が完成、3基(10000トン×3基)が建設中であった。
現在、「重油タンク跡」周辺は木々に覆われ、民家が点在している。嘗てこの周辺は艦艇や船舶に燃料を補給する重要な場所であった。(←)
「重油タンク跡」は、外殻の鉄板が空襲時の火災で大きく歪んでいるのが分かる。(→)
海上からも木々の間にさび付いた鉄板が見える。陸上からも行く事が出来るが、この付近の住民が土地争いをしており、不用意に近づくと高額な見学料を要求されるそうである。 この様な貴重な戦跡は、州政府による適切な管理が望まれる。
夏島南部にある。
「支庁桟橋」のある湾から南西に直線で700m程、湾の西側の海岸沿いに「重油タンク跡」がある。「重油タンク跡」は海からも木々の間に見えている。「重油タンク跡」は道路沿いに3基、やや離れて1基が遺されているようだが、詳細不明である。
「重油タンク跡」から南東方向に「1万トン桟橋」が海上に伸びている。
尚、「重油タンク跡」の陸路からの経路は詳細不明であるが、付近の地権者が土地争いをしている模様であり、近づくと高額な見学料を要求されるそうである。 現地人ガイドの指示に従うと良いだろう。
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夏島南部の海岸沿いに「夏島水上機基地跡」が遺されている。(←)
「夏島水上機基地」は、昭和14年(1939年)から建設が開始され、昭和15年(1940年)までに、海軍運送船「千歳」「 」「衣笠丸」によって設営隊員や技術者が多数到着した。
「水上機基地」には3箇所の「傾斜路(ランプ)」と「駐機場(エプロン)」があり、周囲には「指揮所」「防空壕」「格納庫」等が建設された。(→)
現在、「指揮所跡」「防空壕跡」「エプロン跡」「ランプ跡」「桟橋跡」が遺されている。(←)
大東亜戦争中は、水上機を装備する海軍第九〇二航空隊が展開、昭和19年(1944年)2月17日・18日のトラック大空襲時には「零式三座水偵」11機・「零式水上観測機」2機・「二式水戦」10機が所在していた。
昭和19年(1944年)4月29日、米軍が撮影した「夏島水上機基地」、「エプロン」に並ぶ水上機が見える。(→)
「桟橋跡」(←写真@南) 「エプロン跡」の南端に「桟橋跡」が遺されている。一部崩れているが、当時の石積みやコンクリート製の護岸が遺されている。 「桟橋跡」から南には竹島(写真左端)と冬島(写真中央右より)が見えている。
「桟橋跡」から北西を見る。(写真@北東→) 「桟橋」の根元に「建屋」があり、その下に「防空壕跡」(写真中央右より)が見える。その右(東側)には「ランプ跡」が見える。
「水上機基地跡」には、戦後に地元の高校(Tonoas high school)が建てられたが、数年前に廃校になり、現在は空き地である。
「防空壕跡」(←写真@北東) 海軍施設に見られる三角柱型のコンクリート製防空壕(退避壕)である。「防空壕跡」の上には戦後に建屋が建てられた。
陸地から「防空壕跡」を見る。(写真A南→) 上の建屋は高校の事務所だったが、現在は使用されていない。
「飛行場指揮所(ピスト)跡」(←写真B) 「水上機基地跡」の西側の海岸沿いに「指揮所跡」が遺されている。「指揮所」はコンクリート製1階建ての建屋で、窓には防弾を考慮した鉄扉を備えている。周囲は屋根が張り出し、テラスのようになっている外観が特徴的である。(写真@北西→)
同一の「指揮所」が、マリアナ諸島テニアン島(詳細)・サイパン島(詳細)、パラオ諸島ペリリュー島(詳細)にも遺されており、海軍の統一規格であったと思われる。南洋群島に於ける海軍工事を一手に受注していた馬淵組(現在の馬渕建設)の施工だろうか。
「駐機場(エプロン)跡」(写真A北)(←) 「水上機基地」には舗装された「駐機場(エプロン)」があった。戦後は地元の高校の敷地となったが、数年前に廃校になり、現在は空き地である。 現在は雑草や木が生えているが、当時のものと思われる舗装が確認できる。
「傾斜路(ランプ)跡」(写真@西)(→) 「桟橋跡」から西側に「ランプ跡」を見る。「ランプ跡」の前には沈没船の残骸があるが、当時のものかどうかは詳細不明である。
夏島南部にある。
「1万トン桟橋」「重油タンク跡」から南岸沿いに西に約 km行くと、海岸沿いに「海軍防空壕」や「桟橋跡」がある。「桟橋跡」のすぐ西側の海岸沿いに「沈船」や「トラックの残骸」がある。 これらは、海上から直接「桟橋跡」に上陸して行くことが出来る。
「飛行場指揮所(ピスト)跡」は、「桟橋跡」から海岸沿いに西に m程の所にあり、海からも見えている。しかし、「ピスト跡」には住民が住み着いている模様であり、近づくと高額な見学料を要求されるそうである。 現地人ガイドの指示に従うと良いだろう。
竹島(エテン島)の北西端の船着場からは、ちょうど対岸に「夏島水上機基地跡」が見える。
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文章02(→)
夏島で最も高い山なので、島中から見ることが出来る。
また、春島(ウエノ島・モエン島)のブルーラグーンリゾート(春島南端)やウィティポン山(春島東部)、或いは、竹島(エテン島)の北岸からもその姿を見ることが出来る。
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