海中戦跡

トラック諸島−環礁内の海上・海中

環礁内の海上・海中の戦跡
大東亜戦争における環礁内の海上・海中の歴史
現地への行き方と現地交通情報旅行情報

トラック諸島−環礁内の海上・海中の戦跡

海中戦跡

海中戦跡 海中戦跡

特設潜水母艦「平安丸」
特設航空機運搬艦「富士川丸」
特設運送船「山霧丸」
駆潜艇「第三十四号」
零式艦上戦闘機(零戦)
一式陸上攻撃機(一式陸攻)
二式飛行艇(二式大艇)

「特設潜水母艦『平安丸』」

特設潜水母艦「平安丸」 特設潜水母艦「平安丸」 夏島の西側 m程の沖合い、水深約 mの海中に「特設潜水母艦『平安丸(へいあんまる)』」が遺されている。現在はダイビングポイントの「Heian Maru」として世界的に知られている。(←)

「平安丸」は、昭和5年(1930年)11月24日、日本郵船の氷川丸型貨客船第三番船として竣工、その後は北米のシアトル航路に就航した。昭和16年(1941年)10月には海軍に徴傭され、特設潜水母艦に改造された。同年12月8日の大東亜戦争開戦後は、潜水戦隊の母艦として活躍、した。(→)
ちなみに、同型船であった一番船「氷川丸」と二番船「日枝丸」も海軍に徴傭され、「氷川丸」は病院船に、「日枝丸」も特設潜水母艦にそれぞれ改造された。

特設潜水母艦「平安丸」 特設潜水母艦「平安丸」 そして、、昭和19年(1944年)2月17日・18日、トラック島空襲に於いて米軍機の雷爆撃によって被弾、左舷に横転して沈没した。

水深約 mに於ける「平安丸」。(←)(→)
右舷を上に横転しており、右舷船首付近には「平安丸」と「HEIAN MARU」の文字がはっきりと読める。

「平安丸」は、全長163.3m・全幅20.1m・総トン数11614トン、最大出力13404馬力のディーゼルエンジン2基による2軸推進で、最高速力18.38ノットを発揮した優秀商船であった。

特設潜水母艦「平安丸」 特設潜水母艦「平安丸」 船体の上には当時の遺物が遺されている。(←)
これらは、戦後、ダイバーが船内から持ち出して置いたものである。電話機やヤカンが見える。ヤカンには 海軍の錨と星がはっきり見える。

食器類も船内から持ち出されて置かれている。これら遺物は、かけがえの無い戦争遺跡である。勝手に持ち帰ってはいけない。(→)

尚、「平安丸」は、トラック諸島に眠る沈没船の中では最も大きな船舶である。

特設潜水母艦「平安丸」 特設潜水母艦「平安丸」 現在、同型船「氷川丸」が神奈川県横浜市の山下公園の埠頭に保存されている。

横転したブリッジ。(←)
氷川丸型貨客船のブリッジ正面は3層になっており、横長の窓が特徴である。左舷を下に横転している為、縦長の窓に見える。 1階の窓から右舷の遊歩甲板(プロムナードデッキ)に入る事が出来る。

貨客船時代の右舷遊歩甲板は、特設潜水母艦への改造時に予備潜望鏡の格納庫となった。現在でも潜望鏡が遺されている。(→)

特設潜水母艦「平安丸」 特設潜水母艦「平安丸」 潜望鏡格納庫内を船尾方向に進むと上が開けてくる。本来は右舷遊歩甲板のテラスであったが、横転している為に上を向いている。(←)

船外から右舷遊歩甲板(潜望鏡格納庫)を見る。貨客船時代の遊歩甲板の名残であるテラスの手すりがみえる。(→)

これ以外にも、船尾寄りの船倉には潜水艦用の予備魚雷や各種補給品が遺されているそうである。
また、船尾には2軸の推進器(スクリュー)を見る事が出来る。

「特設潜水母艦『平安丸』」の歩き方

特設潜水母艦「平安丸」 特設潜水母艦「平安丸」 歩き方

ページ先頭に戻る

「特設航空機運搬艦『富士川丸』」

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 夏島の南側 m程の沖合い、水深約40mの海中に「特設航空機運搬艦『富士川丸(ふじがわまる)』」が遺されている。現在はダイビングポイントの「Fujikawa Maru」として世界的に知られているが、正しくは「ふじがわまる」である。(←)

「富士川丸」は、昭和13年(1928年)7月1日、東洋海運の材木運搬船として三菱重工業長崎造船所で竣工、その後は北米航路に就航し、更にはインドや南米への貨物輸送にも活躍した。(→)
そして、昭和15年(1940年)12月9日、海軍に徴傭されて特設航空機運搬艦となった。

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 「富士川丸」は、水線長:132m・総トン数:6938トン・最大速力:16.386ノットの優秀商船であり、大東亜戦争開戦後も物資輸送に活躍していたが、昭和18年(1943年)9月12日に損傷した後、トラック泊地に停泊していた。昭和19年(1944年)1月1日には特設運送船に類別変更されたが、殆ど放置されていたという。そして、同年2月17日、米軍機の空襲を受けた。

船首付近。ほぼ水平の姿勢で着底している。(←)

前部最上甲板は段差のある構造をしており、2箇所の船倉やデリックがある。(→)

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 「富士川丸」は、米雷撃機によって右舷中央に魚雷1本を被雷、ほぼそのままの姿勢のまま水深42mの海底に沈んだ。幸いな事に戦死者は出なかった。

船首に遺される「テレグラフ」。(←)
「MANUFACTURED BY OSAKANUNOTANI SEISAKUSHO HYOGOKEN JAPAN」の文字がはっきり読める。(→)

これは布谷計器製作所で、大阪府に本社があり、兵庫県に工場があった。現在の布谷船舶用計器工業株式会社で、創業は明治25年(1892年)3月、船舶計器のメーカーとしては国内最古である。

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 「富士川丸」には、海軍に徴傭された際に個艦防衛用として、船首と船尾に単装砲が装備された。
船首の「艦砲」である。(←)

各部の特徴から英国ビッカース社製の「6インチ速射砲」だと思われる。刻印から明治32年(1899年)製造である事が分かる。(→)

「6インチ速射砲」は、明治時代後半に大量に輸入され、日露戦争(明治37年2月8日〜明治38年9月5日)で使用された。その後は国産の「安式四十口径十五糎速射砲(15cm速射砲)」の原型となった。

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 大東亜戦争に於いては、「6インチ速射砲」や「15cm速射砲」は既に旧式化していたが、多数が陸上砲台や特設艦艇に転用された。この「艦砲」もその1つだったのだろうか。ひょっとすると日本海海戦に於いてバルチック艦隊と砲火を交えていたかもしれない。

船体前部には第一船倉と第二船倉があり、上甲板から船倉内に入る事が出来る。(←)

第二船倉に、分解された「零戦二一型」3機・「九六式四号艦戦」1機が遺されている。他にもドラム缶多数が遺されている。(→)

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 零戦二一型」の前胴(手前)と後胴(奥)。(←)
胴体が前後で分割されている様子が良く分かる。
前胴の操縦席は、風防の枠や機銃、計器の一部が失われているが、座席や操縦桿(スティック)、計器板(パネル)が確認できる。(→)

これの機体は、各種状況を考慮すると、前線への補充機(新造機)では無く、前線からの還納機であったと考えられる。還納機とは、故障や損傷を受けて修理の為に内地に送り返される機体であり、補充機を搭載してきた艦船の復路(帰り)に搭載されて運ばれる事が多かった。

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 特に、当時は既に旧式機であった「九六艦戦」が搭載されている事や、「富士川丸」が半年近くトラック泊地に停泊していた事などを考ると、これらの機体が前線への補充機であったとは考えにくい。

「九六式四号艦戦」が遺されている。(←)
大東亜戦争開戦時には、一部の母艦や基地航空隊に配備されていたが、既に旧式化しており、順次、第一線から退きつつあった。
後胴上部の特徴的なヒレが確認できる。(→)
水平尾翼は失われているか、取外されている。垂直尾翼の反対側には「39」の番号が描かれている。

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 「富士川丸」の船橋(ブリッジ)は船体中央にあり、両舷に2階建ての通路がある。(←)
ここ通路は、映画「タイタニック」(1997年:アメリカ)の冒頭のシーンで、海底に眠る「タイタニック号」として登場する。現在も、通路内に入る事が出来る。

通路内は舷側側が開いており、比較的明るい。内部の構造が良く分かる。(→)

通路を船尾側に進むと、途中の右手(船体中央)に機関室への入口がある。
また、浴室や洗面所も遺されている。

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 機関室は最下層から上甲板までの吹き抜けになっており、ブリッジ後方には煙突がある。
機関室内部は暗く、下層の甲板へと続くラッタル(階段)がある。(←)

中央には機関(ディーゼルエンジン)と関連の補機が搭載されている。(→)

「富士川丸」は、機関として2800馬力を出力するディーゼルエンジン1基を搭載、1軸推進で、最高速力は16.386ノットであった。

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 上甲板はブリッジのある中央部が高く、船首側と船尾側は低くなっている。ブリッジ左舷前方の最上甲板から船首側の上甲板を見下ろす。(←)
ここには「記念碑」が建てられている。

この「記念碑」は、平成6年(1994年)2月、米軍のヘイルストーン作戦(トラック大空襲)の50周年に建てられた。(→)

「記念碑」の側には海軍の「7.7mm機銃」が遺されている。船倉の「零戦」に装備されていたのだろうか。

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 ブリッジ後方の鳥居型マストと柱型マスト。(←)
柱型マスト先端は、嘗ては海上に出ていたそうであるが、現地人が付近でダイナマイト漁をしていた為、現在は失われている。
ブリッジ後方には煙突がそびえ立っている。(→)

「富士川丸」は、水平のまま沈没し、ほぼ当時の姿のまま遺されている。また、甲板上の構造物や備砲、船倉内の航空機や補給品、船内の通路や機関室など、興味深い部分が多数ある。その為、世界で最も美しい沈没船といわれ、各国のダイバーが訪れる。併しながら、「富士川丸」は単なる観光地では無く、米軍の攻撃によって撃沈された日本船舶であり、現代に遺される貴重な戦争遺跡である。

「特設航空機運搬艦『富士川丸』」の歩き方

特設航空機運搬艦「富士川丸」 特設航空機運搬艦「富士川丸」 歩き方

ページ先頭に戻る

「特設運送船『山霧丸』」

特設運送船「山霧丸」 特設運送船「山霧丸」 春島の南西側 m程の沖合い、水深約 mの海中に「特設運送船『山霧丸(やまぎりまる)』」が遺されている。現在はダイビングポイントの「Yamagiri Maru」として世界的に知られている。(←)

「山霧丸」は、昭和13年(1938年)7月2日、山下汽船の貨物船として竣工。その後、北米航路や南米航路に就航して活躍した。(→)
その後、昭和16年(1941年)9月5日に、海軍に徴庸されて特設運送船(雑用船)となった。大東亜戦争に於いては日本本土サイパン島トラック諸島・ラバウル等との物資輸送に従事した。

特設運送船「山霧丸」 特設運送船「山霧丸」 昭和18年(1943年)8月27日には米潜水艦の雷撃によって損傷、応急修理の後、トラック諸島近辺の輸送任務に従事していた。
そして、昭和19年(1944年)2月17日、トラック諸島が米軍の大規模な空襲を受けた。「山霧丸」も爆弾2発を被弾、船首から沈んでいった。

「山霧丸」は、左舷を下にして横転している。(←)
右舷側が海面を向いている為、舷側の通路や窓が溝のように見える。

甲板上に船倉はの入口が見える。(→)

特設運送船「山霧丸」 特設運送船「山霧丸」 後部の船倉に「砲弾」が多数遺されている。(←)
「砲弾」直径は約35cm、各部の特徴から36cm砲用の「三式弾」であると思われる。(→)

「三式弾」は、昭和18年(1943年)に正式採用された海軍の対空戦闘用焼夷榴弾であった。口径は12.7cmから46cmまで各種あり、内部には多数の焼夷弾子が充填され、発射後に空中で炸裂して広範囲に被害を及ぼした。
36cm砲用の「三式弾」は、焼夷弾子 個を内蔵し、被害半径は約 m、金剛型戦艦・伊勢型戦艦・扶桑型戦艦の主砲弾として使用された。

特設運送船「山霧丸」 特設運送船「山霧丸」 横倒しになった煙突である。(←)
側面には山下汽船所属を示す○にYの字が描かれていたが、現在は海草に覆われていて見えない。

船尾には1軸の推進器(スクリュー)が遺されている。手前は横倒しになった舵である。(→)
船尾側から船首側を見る。上側が右舷、下側が左舷、左側が船体である。

「山霧丸」は、2月17日のトラック大空襲時、秋島の北岸で対空戦闘を行っていた。しかし、機関室に直撃弾2発を被弾、火災が発生した。

特設運送船「山霧丸」 特設運送船「山霧丸」 そして16時40分、搭載していた弾火薬に引火して爆発、船尾を上にして逆立ちするように沈没していったという。引火爆発から沈没まで僅か1分の出来事であった。この時に船員12名が船と運命を共にした。

ブリッジやや前方の船底に大きな破孔がある。(←)
破孔は軽自動車1台が通り抜けられる程の大きさがあり、船底から各甲板を貫通している為、現在でも船底から最上甲板まで通り抜けられる。(→)

この破孔は、船倉の弾火薬が引火・爆発して出来たと思われる。ここから船首側に大量に浸水し、短時間で沈没に至ったのだろう。

「特設運送船『山霧丸』」の歩き方

特設運送船「山霧丸」 特設運送船「山霧丸」 歩き方

ページ先頭に戻る

「駆潜艇『第三十四号』」

駆潜艇「第三十四号」 駆潜艇「第三十四号」 (←)

文章02(→)

駆潜艇「第三十四号」 駆潜艇「第三十四号」 文章03(←)

文章04(→)

駆潜艇「第三十四号」 駆潜艇「第三十四号」 文章05(←)

文章06(→)

駆潜艇「第三十四号」 駆潜艇「第三十四号」 文章07(←)

文章08(→)

駆潜艇「第三十四号」 駆潜艇「第三十四号」 文章09(←)

文章10(→)

駆潜艇「第三十四号」 駆潜艇「第三十四号」 文章11(←)

文章12(→)

駆潜艇「第三十四号」 駆潜艇「第三十四号」 文章13(←)

文章14(→)

「駆潜艇『第三十四号』」の歩き方

駆潜艇「第三十四号」 駆潜艇「第三十四号」 歩き方

ページ先頭に戻る

「零式艦上戦闘機(零戦)」

零式艦上戦闘機(零戦) 零式艦上戦闘機(零戦) (←)

文章02(→)

零式艦上戦闘機(零戦) 零式艦上戦闘機(零戦) 文章03(←)

文章04(→)

零式艦上戦闘機(零戦) 零式艦上戦闘機(零戦) 文章05(←)

文章06(→)

「零式艦上戦闘機(零戦)」の歩き方

零式艦上戦闘機(零戦) 零式艦上戦闘機(零戦) 歩き方

ページ先頭に戻る

「一式陸上攻撃機(一式陸攻)」

一式陸上攻撃機(一式陸攻) 一式陸上攻撃機(一式陸攻) (←)

文章02(→)

一式陸上攻撃機(一式陸攻) 一式陸上攻撃機(一式陸攻) 文章03(←)

文章04(→)

一式陸上攻撃機(一式陸攻) 一式陸上攻撃機(一式陸攻) 文章05(←)

文章06(→)

一式陸上攻撃機(一式陸攻) 一式陸上攻撃機(一式陸攻) 文章07(←)

文章08(→)

一式陸上攻撃機(一式陸攻) 一式陸上攻撃機(一式陸攻) 文章09(←)

文章10(→)

一式陸上攻撃機(一式陸攻) 一式陸上攻撃機(一式陸攻) 文章11(←)

文章12(→)

「一式陸上攻撃機(一式陸攻)」の歩き方

一式陸上攻撃機(一式陸攻) 一式陸上攻撃機(一式陸攻) 歩き方

ページ先頭に戻る

「二式飛行艇(二式大艇)」

二式飛行艇(二式大艇) 二式飛行艇(二式大艇) (←)

文章02(→)

二式飛行艇(二式大艇) 二式飛行艇(二式大艇) 文章03(←)

文章04(→)

二式飛行艇(二式大艇) 二式飛行艇(二式大艇) 文章05(←)

文章06(→)

二式飛行艇(二式大艇) 二式飛行艇(二式大艇) 文章07(←)

文章08(→)

二式飛行艇(二式大艇) 二式飛行艇(二式大艇) 文章09(←)

文章10(→)

二式飛行艇(二式大艇) 二式飛行艇(二式大艇) 文章11(←)

文章12(→)

二式飛行艇(二式大艇) 二式飛行艇(二式大艇) 文章13(←)

文章14(→)

「二式飛行艇(二式大艇)」の歩き方

二式飛行艇(二式大艇) 二式飛行艇(二式大艇) 歩き方

ページ先頭に戻る

戦跡の歩き方TOP」へ戻る>> 「大東亜戦争遺跡」へ戻る>> 「トラック諸島(チューク諸島)」へ戻る>> 「環礁内の海上・海中」へ戻る>> 「海中戦跡

Copyright(C)悠久の沙羅双樹
inserted by FC2 system