春島と夏島の間の海面には、連合艦隊の「戦艦錨地」があった。「大和」「武蔵」を始めとする主力戦艦が入港した場合、「戦艦錨地」に碇泊した。(←) (写真番号は地図の撮影場所の番号と一致)
「写真@」(→) ウィティポン山(春島東部)の南側の峰から「戦艦錨地」を見る。手前の陸地が春島、奥の島が夏島、その間の海面が「戦艦錨地」であった。「戦艦錨地」には、現在も「戦艦『武蔵』繋留ブイ」が遺されている。
戦艦「大和」と戦艦「武蔵」の勇姿、右手前が「武蔵」、左奥が「大和」である。(←) 昭和18年(1943年)頃にトラック泊地に於いて撮影された。大和型戦艦2隻が同時に収まった写真はこの1枚のみである。 後ろに見えるのは春島、「武蔵」の後方にはウィティポン山(春島東部)の特徴的な山肌が見えている。
「写真A」(→) 同じアングルで「戦艦錨地」を見る。撮影地点は夏島の西の沖合いである。嘗てここには日本海軍が世界に誇った二大戦艦が錨を降ろしていたのである。
ウィティポン山(春島東部)の山頂付近や峰の南側から「戦艦錨地」を見下ろす事が出来る。
或いは、ブルーラグーンリゾート(春島南端)から夏島にボートで渡航する際に、「戦艦錨地」を通過する事がある。
また、ダイビングポイントの「平安丸」付近の海上から北向きに、当時の写真とほぼ同アングルで「戦艦錨地」を見ることが出来る。
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春島の南側、夏島の北側の海面は、連合艦隊の「戦艦錨地」であり、艦を停泊させる為の「繋留ブイ」があった。当時の戦艦「武蔵」の写真では、艦首に舫紐で繋がった「繋留ブイ」が確認できる。(←)
この「戦艦『武蔵』繋留ブイ」が遺されている。
「戦艦錨地」を南から見る。(→) 奥(北側)に見えるのが春島、その手前の左側(西側)に見える小島は 島、 島の右側に「繋留ブイ」が見える。
「繋留ブイ」の周辺は珊瑚礁になっており、水深が浅い。「繋留ブイ」は、この珊瑚礁に傾いた状態で引っかかっている。(←)
「繋留ブイ」の後ろ(北側)に春島が見えている。 左側(西側)がチュクエン山、右側(東側)がウィティポン山である。(←)
「繋留ブイ」は、鉄とコンクリートで造られており、内部が空洞になった円筒形である。上部には舫紐を繋ぐ為の環が取り付けられている。(→)
春島と夏島の間にある 島から東に m程の珊瑚礁に引っかかっている。海上にある為、船でしか行くことが出来ない。
ブルーラグーンリゾート(春島南端)からボートで15分程である。尚、「繋留ブイ」から夏島北岸の船着場までは15分程である。
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