秋島・冬島・七曜諸島

トラック諸島−竹島(エテン島)・その他の島

竹島(エテン島)の戦跡
大東亜戦争における竹島(エテン島)の歴史
現地への行き方と現地交通情報旅行情報

トラック諸島−竹島(エテン島)・その他の島の戦跡

秋島・冬島・七曜諸島

秋島・冬島・七曜諸島 秋島・冬島・七曜諸島

秋島(フェファン島)
冬島(ウマン島)
桜島(ファノ島)・小桜島(オサクラ島)
月曜島(ウドット島)・前島(エオット島)
水曜島(トル島)

「秋島(フェファン島)」

秋島(フェファン島) 秋島(フェファン島) 夏島の南西約6kmにフェファン(Fefan)島がある。(←)

日本統治時代は秋島と呼ばれていた。
秋島は、夏島よりも大きいが、平地が少なく、現在もあまり開発されていない。尚、秋島の西約 kmには楓島(Palem Island)があり、大東亜戦争中は海軍の飛行場が設営された。(→)

秋島(フェファン島) 秋島(フェファン島) 夏島の西の沖合い、ダイビングポイント「山霧丸」付近から秋島を見る。(写真@)(←)

竹島西端から秋島を見る。(写真A)(→)

秋島の中央の山頂、「写真@A」では木が無く草原になっている部分の上には、日本統治時代に現地で無くなった邦人の「墓石」が遺されているそうである。

「秋島(フェファン島)」の歩き方

秋島(フェファン島) 秋島(フェファン島) 秋島は、夏島竹島の西約2〜3kmにある。
船でしか行くことが出来ない。

対岸(東側)の夏島竹島から見える他、春島南端(ブルーラグーンリゾート)ウィティポン山(春島東部)から遠望する事が出来る。

また、ダイビングポイントの「平安丸」「山霧丸」「駆潜艇『第三十四号』」「一式陸攻(Betty)」「二式大艇(Emily)」等からも見る事が出来る。

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「冬島(ウマン島)」

冬島(ウマン島) 冬島(ウマン島) 夏島の南約6kmにウマン(Uman)島がある。(←)

日本統治時代は冬島と呼ばれ、四季諸島の主要な島の中では最も小さく最も南にある。(→)

大東亜戦争中は、海軍の第四施設隊と設営隊によって「散兵壕(塹壕)」「壕(洞窟)」「道路」が建設された。他には、建物として「通信所」と「関連施設」6棟が建設された。また、大東亜戦争末期には「魚雷艇基地」が建設された。

冬島(ウマン島) 冬島(ウマン島) 冬島には、守備兵力として海軍第四九警備隊の一部(約600名)がおり、「沿岸砲台」や「防空陣地」も設営されていた。

夏島の南西の沖合いから冬島を見る。(写真@ ←)

竹島西端から冬島を見る。(写真A →)

冬島には現在も「高角砲」等が残されているそうである。そして、冬島の戦跡の多くも私有地に遺されており、見学の際は他の島と同様に地権者に見学料を支払う必要があるが、特に冬島の住民はなにがなんでも見学料を徴収しようとするそうである。

「冬島(ウマン島)」の歩き方

冬島(ウマン島) 冬島(ウマン島) 冬島は、夏島竹島の南約5〜6kmにある。
船でしか行くことが出来ない。

竹島西端から南に遠望する事が出来る。

また、ダイビングポイントの「富士川丸」「零戦(Zero)」「一式陸攻(Betty)」「二式大艇(Emily)」等からも見る事が出来る。

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「桜島(ファノ島)」「小桜島(オサクラ島)」

桜島(ファノ島)・小桜島(オサクラ島) 桜島(ファノ島)・小桜島(オサクラ島) 春島の約 km北にファノ島(Fano)・ピスィウィ島(Pisiwi)がある。日本統治時代、それぞれの島は桜島・小桜島と呼ばれた。(←)

現在でも、ピスィウィ島はオサクラ島(Osakura Jima)と呼ばれる事がある。

春島の北西のトナチャウ山の山頂付近から桜島・小桜島を見る。(→)

桜島(ファノ島)・小桜島(オサクラ島) 桜島(ファノ島)・小桜島(オサクラ島) 桜島(ファノ島)(←)
春島の北約 kmにある。

小桜島(オサクラ島)
桜島(ファノ島)の西 m程にある。

「桜島(ファノ島)」「小桜島(オサクラ島)」の歩き方

桜島(ファノ島)・小桜島(オサクラ島) 桜島(ファノ島)・小桜島(オサクラ島) 桜島・小桜島は春島の北約 kmにある。
船でしか行くことが出来ない。

トナチャウ山(春島北部)ウィティポン山(春島東部)の山頂、春島北東端日本灯台跡から遠望する事が出来る。

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「月曜島(ウドット島)」「前島(エオット島)」

月曜島(ウドット島)・前島(エオット島) 月曜島(ウドット島)・前島(エオット島) 四季諸島と「水曜島」の間に月曜島・前島がある。それぞれ現地の言葉では、月曜島はウドット島(Udot Island )、前島はエオット島(Eot Island )と呼ばれる。どちらも七曜諸島(ファイチュック諸島)に含まれる。(←)
(写真番号は地図の撮影場所の番号と一致)

左(大きい島)が月曜島、右(小さい島)が前島である。(写真@ →)

現在、住民はそれほど多くないが、大東亜戦争末期は陸海軍部隊の一部が駐屯していた。

月曜島(ウドット島)・前島(エオット島) 月曜島(ウドット島)・前島(エオット島) 月曜島(写真A ←)
昭和19年(1944年)3月26日、陸軍独立混成第五一旅団の独立歩兵第三三七旅団と、海軍部隊1025名(第四艦隊司令部員15名・第四三警備隊73名・第四八警備隊116名・第四資材部25名・第四設営隊796名)が到着し、展開した。また、「回天」(1人乗り人間魚雷)や「魚雷艇(「大発」を改造)」の基地が計画されたが、これらは未完成に終わった。現在、海岸にはこの時の「洞窟」が遺されている。

前島(写真B →)
海軍の第四一警備隊(168名)、第四三警備隊(143名)及び第四八警備隊の一部が展開、「回天」の基地設営が計画されていたが未完成に終わった。

「月曜島(ウドット島)」「前島(エオット島)」の歩き方

月曜島(ウドット島)・前島(エオット島) 月曜島(ウドット島)・前島(エオット島) 月曜島・前島は、夏島の西約 kmにある。
船でしか行くことが出来ない。

グアム島からの飛行機が上空を通過するので、「チューク国際空港」への着陸直前に機内右舷側から見る事が出来る。

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「水曜島(トル島)」

水曜島(トル島) 水曜島(トル島) トラック諸島の西側の七曜諸島(ファイチュック諸島)の主要な島としては、「火曜島(ファラベケット島)」「水曜島(トル島)」「木曜島(パタ島)」「金曜島(ポレ島)」「土曜島(オナムエ島)」がある。(←)

春島トナチャウ山の山頂付近から七曜諸島を望む。(写真@ →)

「水曜島」はトラック諸島最大の島で、大東亜戦争中、約6200名の日本軍部隊が駐屯していた。その多くは海軍の第四設営隊で、他に第四一警備隊と第四三警備隊の約1000名が展開していた。

水曜島(トル島) 水曜島(トル島) 昭和19年(1944年)1月11日には陸軍歩兵第五二師団第六九連隊第一大隊が上陸し、一部は後に夏島に移動した。また、「回天」や「魚雷艇」の基地、「監視塔」が建設され、「探照灯」2基と「軽機関銃」「擲弾筒」などが配備された。

中央が「北部水曜島」、右奥が「火曜島」、左奥(やや高い山)が「月曜島」。(写真A ←)

左奥が「火曜島」、左が「北部水曜島」、右(高い山)が「南部水曜島」、右手前が「金曜島」。
(写真B→)

水曜島(トル島) 水曜島(トル島) 右手前が「南部水曜島」、中央左が「金曜島」、右奥が「北部水曜島」、左奥(小高い山)が「木曜島」。
(写真C ←)

左が「南部水曜島」、右が「北部水曜島」、奥(小高い山)が「木曜島」。(写真D →)

「水曜島」は、面積は最大であるが、人口の多い春島夏島から離れている為、住民は少ない。
大東亜戦争末期、トラック諸島への補給が途絶え、現地部隊は農耕や漁撈によって自給自足が行われた。この時、不足する食料を補う為、面積の割りに人口の少ない「水曜島」も開墾されタ。

「水曜島(トル島)」の歩き方

水曜島(トル島) 水曜島(トル島) 水曜島は、夏島の西約 kmにある。
船でしか行くことが出来ない。

グアム島からの飛行機が上空を通過するので、「チューク国際空港」への着陸前に機内右舷側から見る事が出来る。

また、トナチャウ山(春島北部)の山頂付近から遠望する事が出来る。

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