トラック諸島−竹島(エテン島)・その他の島

トラック諸島−竹島(エテン島)・その他の島

竹島(エテン島)・その他の島の戦跡
大東亜戦争における竹島(エテン島)・その他の島の歴史
現地への行き方と現地交通情報旅行情報


竹島(エテン島)

・竹島飛行場跡地
・飛行場護岸跡(石垣)
・飛行場司令部庁舎跡
・飛行場倉庫跡
・飛行場発電所跡


秋島・冬島・七曜諸島

・秋島(フェファン島)
・冬島(ウマン島)
・桜島(ファノ島) ・小桜島(オサクラ島)
・月曜島(ウドット島) ・前島(エオット島)
・水曜島(トル島)



竹島(エテン島)・その他の島の戦跡 竹島は、夏島(トノアス島・デュブロン島)の南 kmにある小島で、南北約 km・東西 m程である。現地の言葉ではエテン島と呼ばれる。英語での表記は統一されておらずEttenともEtenともEtanとも綴るようである。

竹島は、日本統治時代の昭和9年(1934年)から島の北側半分以上を平坦にする工事が開始された。これは、飛行場の建設を見据えた工事であった。日本がワシントン海軍軍縮条約から脱退した昭和12年(1937年)以降、竹島に於ける造成工事は加速され、日本海軍と南洋庁によって飛行場の建設が開始された。この工事には図南報国隊(囚人部隊)も参加し、昭和18年(1943年)末までには全ての工事が完了した。

竹島飛行場」は80m×1000mのコンクリートで舗装された「滑走路」を持ち、夜間の離発着の為の照明も備えられていた。「滑走路」の周辺には整備用の「駐機場(エプロン)」や「格納庫」、「司令部庁舎」「発電所」「通信所」「飛行場指揮所(ピスト)」等が建てられた。南東部の丘以外は平らに造成され、「滑走路」や「駐機場」が島の半分以上を占めていた。その為、竹島は航空母艦の様な外観となり、トラック諸島に於ける最大の飛行場であった。
竹島飛行場」は、主として戦闘機の基地として運用され、第二一・第二二・第二五・第二六の各航空戦隊が展開、更に、島の中央には航空廠支所が置かれ、内地から輸送されてきた補充機が保管されていた。これらは、ニューブリテン島ラバウルなどの最前線に送られ、同方面での航空戦を支えていた。

竹島(エテン島)・その他の島の戦跡 併しながら、昭和19年(1944年)2月17日・18日、米海軍による大規模な空襲(ヘイルストーン作戦)が行われ、トラック諸島は大きな被害を受けた。竹島も、島自体が米軍艦載機の攻撃目標となり、激しい銃爆撃に晒された。
この時、「竹島飛行場」には第二〇四航空隊(戦闘機:31機以上)・第二〇一航空隊(派遣隊・戦闘機:8機)・第五〇一航空隊(爆装機:25機以上)が所在していたが、その多くが地上で撃破され、迎撃に上った機の多くも撃墜された。そして、保管されていた補充機200機近くは、なすすべも無く地上で灰燼に帰した。

トラック諸島は、同年4月30日・5月1日にも大規模な空襲を受け、所在の海軍航空兵力はほぼ壊滅、その後、7月〜8月にマリアナ諸島が米軍に占領された。結果、トラック諸島はは制空権・制海権を失って孤立、内地からの補給も途絶え、以後、現地の部隊は自給自足の生活を余儀なくされた。
竹島飛行場」も、嘗ての面影も無く破壊され、その広大な「滑走路」や「駐機場」に翼を並べた航空機も、うず高く積み上げられた無残な残骸へと変わり果てた。

現在、竹島は鬱蒼としたジャングルに覆われ、広大な「滑走路」も「駐機場」も木々に埋もれている。しかし、その島の形は往時と変わることは無く、今はまるで緑の航空母艦が浮いているようである。島内には当時の「司令部庁舎跡」や「倉庫跡」「発電所がひっそりと遺され、島の外周には「石垣の護岸」が遺されている。

竹島(エテン島)・その他の島の戦跡 トラック諸島は、環礁に囲まれた約250の島から成っている。
日本統治時代、環礁内の東側の主要な島は春島夏島秋島冬島と四季の名前が付けられ、これらを四季諸島と呼んだ、四季諸島には竹島・楓島・桜島などの小島も含まれた。また、環礁内の西側の主要な島は、日曜島・月曜島・火曜島・水曜島・木曜島・金曜島・土曜島と1週間の名前が付けられ、これらを七曜諸島と呼んだ。
これ以外にも、環礁上の小島には十二支に因んだ名前が付けられ、子島・丑島・寅島・卯島・辰島・巳島・午島・未島・申島・酉島・戌島・亥島があった。

七曜諸島(ファイチュック諸島)の水曜島は、トラック諸島で最大の島である。実際は中央部が水道によって分けられ北部水曜島と南部水曜島で構成されている。日本統治時代のトラック諸島の中心地は、四季諸島(ナモネアス諸島)の夏島であった為、水曜島をはじめとして七曜諸島の島々は、当時から開発され殆どていない。大東亜戦争末期、内地からの補給が途絶えたトラック諸島では、現地部隊が畑を開墾して自給自足の生活を余儀なくされたが、その際、人口が少なく面積が広い水曜島は食料生産に大きな貢献をしたそうである。

現在、秋島冬島、更に水曜島等にも大東亜戦争当時の遺物が遺されているそうであるが、殆どは人知れずジャングルに埋もれており、調査や保全も殆ど行われていないのが現状である。

トラック諸島(チューク諸島)まで

日本からトラック諸島(チューク諸島)までの直行便は無く、グアム島で乗り換える事になる。
また、グアム島からトラック諸島まではユナイテッド航空が週4便で就航しているのみである。路線は細く日本人観光客は少ない。
その結果、旅行会社のツアーや格安航空券もメジャーな観光地と比べると圧倒的に少ないため、ツアーが探しにくく割高なものを掴まされがちである。

また、トラック諸島(チューク諸島)は観光ガイド本が出版されておらず、渡航方法や現地の島内交通なども調べにくい場所である。
これらの旅行情報やお得なツアーを見つける方法は以下のHPにまとめられている。

国際線クルーのおすすめ!チューク旅行

竹島(エテン島)・その他の島の国内交通

現在、春島(ウエノ島・モエン島)にしか大きな空港が無い為、春島以外の島に渡るには基本的に船・ボートを利用するしかない。

秋島(フェファン島)冬島(ウマン島)竹島(エテン島)は、春島から比較的近い為、日帰りのボートツアーで行くことが可能である。
水曜島(トル島)をはじめとする七曜諸島(ファイチュック諸島)は、春島からかなり距離がある為、ボートと船頭をチャーターする事になる。

春島南端のホテル「ブルーラグーンリゾート」では、離島ツアーやボートレンタルを行っている。
船・ボートに関する詳細は以下のHPの地図>>ボートの項にまとめられている。

国際線クルーのおすすめ!チューク旅行

春島以外の島にはタクシーやレンタカーが無い為、島内の移動は基本的に徒歩によるしかない。
また、島内の戦跡の殆どは私有地にある為、地権者に見学料(2ドル〜5ドル/1人)を支払う必要がある。
現地人ガイド一緒に行くと話しがスムーズに進むだろう。

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