バンコクから当時のビルマへ至る泰緬鉄道の路線図である。カンチャナブリー北西約80kmにヘルファイア・パスという場所がある。(←)
ヘルファイア・パスの当時の写真である。現在鉄道はミャンマーまでは通じておらず、線路は現在一部観光用を残して撤去されている。線路の両側に岩肌が見られる。(→)
当時の工具類である。ヘルファイア・パスは硬い岩山を切り通さなくてはならなかったが、重機がほとんどなく手掘であったため、最も難工事となった場所の一つである。(←)
鉄道建設には連合国の捕虜が動員された。捕虜となった各国の兵士が所持していたヘルメットである。国によって形がそれぞれ違いがあるのが分かる。(→)
通信機器のようである。電話の受話器のような部品が見える。(←)
昭和20年(1945年)2月13日、米軍航空隊のB24によって爆撃されたクウェー川鉄橋である。中間部分の橋脚が破壊され、橋げたが川に落ちている様子が見て取れる。現在のクウェー川鉄橋は、破壊された部分が戦後再建されており、オリジナルの部分と形が異なる。(→)
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小銃や軍刀、爆弾などがガラスケースの中に展示されている。(←)
こちらは写真展示室の前の小銃である。形状は日本軍のものであるように見えるが、詳細は不明である。(→)
爆弾である。殻が薄そうに見えるが、航空爆弾であろうか。(←)
入口にも砲弾や爆弾が雑然と展示されている。(→)
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永瀬隆氏は憲兵隊の通訳として泰緬鉄道建設に派遣された軍属である。戦後は死亡した捕虜の調査団に参加した。その後、彼は社会貢献のためにクウェー川平和財団を設立し、カンチャナブリーのたくさんの貧しい学生に奨学金を提供した。(←)
この像は2006年2月19日に氏の出身地の岡山市の団体によって、博物館敷地内のクウェー川のほとりに建てられたものである。(→)
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