・旧台北州庁舎 ・日本家屋
・旧日本勧業銀行台北支店、土銀展示館
・旧三井物産社屋
・旧児玉総督・後藤民生長官記念館、
国立台湾博物館
・旧台湾帝国大学付属医院
・旧台湾総督邸
・旧台北西門市場 ・旧台北公会堂 ・旧台北信用組合本店 ・旧帝国生命保険会社 ・台湾銀行本店 ・旧台北偕行館
・旧台湾総督府 ・旧総督府交通局 ・旧電話交換局 ・国軍歴史文物館 ・旧台北州立台北第一高等女学校 ・旧台北地方法院、高等法院 ・旧日本軍司令部
・芝山公園 ・剣潭公園 ・忠烈祠
台北は台湾島の北に位置する人口約261万人(2010年)の台湾の中心都市である。国民党が共産党との内戦で破れて台湾に遷都したとき、いずれは「大陸反攻」によって大陸部を共産党から奪還したあとは再び首都を南京に戻す考えであった。「大陸反攻」が非現実的となった現在も、中華民国は全中国を代表する立場をとり続けている。そのため、台北は「中央政府所在地」であり、あくまで「臨時首都」との扱いである。
現在の台北経済は市民所得の増加に伴う消費に支えられるサービス業などの第三次産業が9割を占めるのが特徴である。また、人口当たりのコンビニ店舗数は世界一である。台北のランドマークは台北101という地上509mの超高層建築であり、2010年にブルジュ・ハリファ(ドバイ)が完成するまで世界一であった。
清朝時代の台湾の統治の中心は台南であり、台北が本格的に統治の中心となったのは台湾総督府が台北に置かれた明治28年(1895年)以降のことである。台湾の統治の基盤を作ったのは第4代総督児玉源太郎のもと民生局長を務めた後藤新平である。まず、後藤は台湾の土地風土や人口などを調査し、台湾の実情に合わせた制度を取り入れようとした。明治32年(1899年)に台湾銀行が設立され、インフラ整備に必要な資金が公債によって調達された。港湾、鉄道、通信、灌漑が整備され、これを基点にまず精糖、米などの農業が発展していった。
日本の台湾統治は全て順調であった訳ではなかった。最初の3年間はゲリラとの戦いであり、時には日本からの援軍を必要とするほどであった。大正4年(1915年)には漢族系台湾人が大規模武装蜂起した西来庵事件が発生し、昭和5年(1930年)には台湾原住民が暴動を起こした霧社事件が発生した。
日本は当初、民族意識向上につながる教育の拡充に消極的であったが、インフラ整備と平行して力が入れられていった。これは台湾に近代産業を導入するために必要な人材を供給するのに必須の過程であったのである。明治32年(1899年)に台湾医学校が設立され、大正8年(1919年)までに台湾各地に中学校、高等学校、職業学校が次々と開設された。
インフラ整備もさらに進み、鉄道網は大正6年(1917年)には基隆から高雄までの台湾縦貫鉄道が完成するなどさらに拡充された。増大する需要に応えて各地に発電所が建設され、産業はさらに発展した。当初は日本本土から援助金を受けていたが、この頃には逆に日本政府の国庫に貢献するまでになっていた。
昭和12年(1937年)に支那事変が勃発し日中が全面戦闘状態に入ると、台湾は戦時体制となっていった。皇民化教育によって日本語使用が強く推進され、神社参拝が強制された。経済面では軍需が鉄鋼、化学、金属、機械などの重化学工業を急速に発展させた。昭和14年(1939年)には工業生産額が農業生産額を上回った。
緒戦は日本の優勢に進んでいた大東亜戦争であったが、昭和19年(1944年)頃には既に敗色濃厚となっていた。昭和19年(1944年)10月頃から米空母部隊が台湾近海にも現れるようになり、台北も空襲を受けるようになっていた。対する日本軍は「マリアナ沖海戦」で大敗して空母機動部隊の主力を喪失しており、基地航空隊である「T攻撃部隊」によってこれを迎撃しようとした。10月12日、T攻撃部隊は米第3艦隊に夜間空襲をかけ、14日には大規模な昼間攻撃をかけた。台湾沖航空戦である。米軍側の損害は軽微であったが、大本営は「空母19隻、戦艦4隻撃沈」等と発表した。この戦果誤認により、大本営はその後の作戦立案を誤り、敗北への道を早めることとなる。
支那事変から大東亜戦争開戦後も台湾には兵役の義務が課されていなかったが、兵員不足のため昭和17年(1942年)からは台湾に志願兵(実質的には徴兵)募集が始まった。昭和19年(1944年)には徴兵制が敷かれ、軍人約8万人、軍属約13万人が動員された。うち、約3万人が戦死した。
台北には台湾総督府を始め、日本統治時代の建物が多く遺されている。これは韓国が終戦後にほとんどの日本統治時代の建物を植民地時代の象徴として取り壊したのと対照的である。台湾総督府は総統府に、台湾銀行はそのまま台湾銀行に、台湾帝国大学付属医院は台大医院旧館に、といったように、日本統治時代と同じ用途で引き続き使われているものが多い。
日本から約3時間ほどの空の旅である。
日本からは市街地から離れた桃園国際空港のみに発着していたが、近年市街地北側に位置する松山空港が国際線に開放された。特に東京からは羽田−松山線が開設され、移動時間はぐっと短縮された。
台湾への旅行は通常は航空券とホテルがセットになったツアーが総額代金、予約等の手間を考えると最も良いだろう。ツアーの方が航空券とホテルを別に買うよりも安い。ツアー会社に希望の出発・帰着日で申し込めば、航空券・ホテルの両方を用意してくれるので手間も少ない。さらに、空港とホテル間の送迎も付いているため、重い荷物を持って公共交通機関を探す必要がなく便利である。
ツアー会社は各社共に特徴があるが、大別すると大手格安ツアー会社、中小格安ツアー会社、旅行代理店の3種類がある。
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」や「楽天トラベル
」などの大手格安ツアー会社の特徴は、代金が比較的安く、取り揃えているツアーの量、種類が幅広いことである。「H.I.S」の台湾ツアーの一覧、空き状況は以下のページの海外ツアーのタブを押し、台湾を選んで日程を入力すると確認できる。
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「てるみくらぶ」の台北ツアー:http://www.tellmeclub.com/tour/area_search.php?as_id=23&bm=CCCC
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」では日本航空の便を使っており、空港からホテルへの送迎も日本語を話せるスタッフがホテルまで案内してくれ、ホテルも日本語が話せるスタッフを用意しているところが多い。その分若干価格帯は高めのツアーが多いが、語学力が不安な旅行者には心強いだろう。また、決済にマイルを使うこともできる。「JALパック
」の台湾ツアーの一覧、空き状況は以下のページの左側の世界地図の「アジア→台湾」の項目をクリックすることにより確認できる。
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通常はツアーの方が安いが、旅行期間が長めの場合は航空券のみを購入する方が安くなる場合がある。いわゆる一般的な観光ホテルではなく、安宿を探すのである。空港から宿までの移動手段を自分で確保する必要があり、宿は設備が整ってないところが多いが、そのあたりを気にしない旅行者には有効な手段である。航空券の予約は「H.I.S
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市内にはMRTという地下鉄網があり、利便性が高い。4〜10分程度の頻度で運行しており、料金も日本の地下鉄より安い。
また、タクシーは料金が日本の3分の1程度と利用しやすい。