高雄市街

高雄・台南

高雄・台南の戦跡
大東亜戦争における高雄・台南の歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

高雄・台南の戦跡

高雄:高雄市街

高雄市街 高雄市街

高雄駅
高雄市役所
日本家屋
高雄神社

「高雄駅」

高雄駅 高雄駅 明治28年(1895年)に台湾が清から日本に割譲されたとき、基隆−新竹間に清朝時代の鉄道が敷設されていた。日本は台湾経営のためには更なる鉄道整備が必須と考え、明治41年(1908年)に基隆−高雄間404.2kmの縦貫線を全通させた。現高雄駅のすぐ近くに、昭和15年(1940年)に建てられた旧高雄駅が遺されている。(←)

洋風の鉄筋コンクリート造りの上に和風の瓦屋根が載っている。帝冠様式と呼ばれる昭和初期に流行した和洋折衷のスタイルである。(→)

高雄駅 高雄駅 内部は現在「高雄願景館」という資料館となっている。(←)

現高雄駅の建設が決定した際、旧高雄駅の駅舎の保存を望む声が多く上がった。高雄市は平成14年(2002年)8月、総重量3500トンの駅舎をそのまま台車に載せ、14日かけて東南の方向へ82.6m移動させた。

旧駅舎のあった場所に建てられた現高雄駅である。(→)

「高雄駅」の歩き方

高雄駅 高雄中心地である。台湾国鉄の駅であり、台北方面からの列車の多くが高雄駅を終着駅としている。台湾高速鉄道(台湾新幹線)の高雄駅までの延伸も計画されている(2010年現在)。

なお、高雄国際空港とはMRT(地下鉄)で結ばれている。

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「高雄市役所」

高雄市役所 高雄市役所 昭和14年(1939年)建築の旧高雄市役所である。洋風建築に日本式屋根を乗せた帝冠様式建築である。屋根は薄緑色をしており、敵機から目立たなくして爆撃を防ぐ目的があったようである。(←)

また、斗拱(斗組、ますぐみ−中国建築で、柱と梁の接続部からせり出している弓形の木)、瓦當、浮雕紋飾、及び翼?柱頭などの中華風の様式も取り入れられている。(→)

日本統治時代は日本人が市長を務めていたが、終戦後は台湾人の市長が誕生した。

高雄市役所 高雄市役所 建物は平成4年(1992年)まで引き続き高雄市役所として使われていたが、平成4年(1992年)1月に新しい市庁舎が完成し、市役所は移転した。

平成10年(1998年)より高雄市立歴史博物館となっている。日本統治時代の展示では、当時の日用品などが展示されているそうである。(←)

建物に向かって右手側は小さな公園のようになっており、そこにこの建物の歴史を説明する説明板がある。(→)

「高雄市役所」の歩き方

高雄市役所 MRT橘線塩?埔駅下車。大勇路を北東へ300mほど行くと道は右側に曲がり、中正四路と名前を変える。中正四路に入ってから100mほど行った左手側に高雄市役所はある。愛河にかかる橋の手前である。

なお、右手側は公園となっている。

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「日本家屋」

日本家屋 日本家屋 市内には他にも日本統治時代のものと思われる建物が遺っている。特に窓の造りなどが日本風である。特に歴史保存指定されている訳でもなさそうであり、築年数が古く傷みは激しいようである。(←)

中には一般の家庭が入居していた。建物の経緯を聞こうとしたが、残念ながら英語が通じなかったため、詳細は不明である。(→)

「日本家屋」の歩き方

日本家屋 MRT橘線塩?埔駅下車。大勇路を北東へ300mほど行くと中正四路との交差点があるのでここを右折する。右折して200mほど行くと愛河にかかる橋がある。橋の手前左側には高雄市役所がある。

橋の手前の河西路を左折し、川沿いに1kmほど行くと、建国四路と合流する。この合流点の右手にかかる橋は建国三路である。合流点には街路樹の植えられたちょっとした広場のようになっている場所があり、ここの左手に日本家屋がある。

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「高雄神社 」

高雄神社 高雄神社 「高雄忠烈祠」は日本統治時代は「高雄神社」であった。大通りから丘を登っていくと、神社時代の鳥居を中華風に改装したと思われる門がある。(←)

鳥居からさらに道を登っていくと、正面に石段が出てくる。石段の手前には二本の大きい石塔が建てられている。この石塔は日本統治時代に立てられたものである。現在は塔の上の部分に国民党のマークの入ったオブジェクトが付け加えられている。右側の石塔。(→)

高雄神社 高雄神社 塔の側面には文字が刻まれている。文字はコンクリートを流し込まれて埋められているが、「大東亜戦争完遂祈願」の文字が読み取れる。(←)

別の面の文字は「昭和十六年 十二月 八日 起工」と読み取れる。大東亜戦争が開戦した日である。(→)

高雄神社 高雄神社 石段の両側の狛犬が参拝者を出迎える。石段は高雄神社のときのものがそのまま使われているそうである。(←)

石段手前左側の狛犬である。狛犬の台座には日本の漢字ではない漢字が刻まれている。中華民国(台湾)時代になってから刻まれたものと思われる。(→)

高雄神社 高雄神社 高雄神社時代の写真である。(←)

「忠烈祠」とは台湾のために戦死した人を祀る施設であり、日本でいうところの靖国神社のようなものである。「忠烈祠」は台湾の各地にあり、日本統治時代の神社を改築したものが多いようである。写真の門は石段を上がったところにあり、左の高雄神社時代の鳥居が立っていた場所にあたる。(→)

高雄神社 高雄神社 石段を登って参道を進んだところには高雄神社の社殿があった。戦後取り壊され、現在は中国宮殿風の建物に建て替えられている。(←)

参道の両側に小さい石塔が二本建てられている。階段の下の大きい石塔と同じように、国民党のマークのついたオブジェクトが上につけられている。ここにも側面には埋められた文字があるが、何と書かれているかは読み取れない。(→)

「高雄神社 」の歩き方

高雄神社 高雄神社 MRT橘線西子湾駅下車。鼓山一路を北東へ。1kmほどのところの左手の萬壽路へ入る。ここには壽山公園の鳥居がある。山道を登っていき、右手の興國路を入ったところに石塔と狛犬が出てくる。

MRT橘線塩程埔駅(正確な中国の字体は図中の文字を参照)から五福四路を北西に行き、鼓山一路を右折しても距離的にはさほど変わらないようである。

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