フォード自動車工場(OLD FORD FACTORY)

シンガポール

シンガポールの戦跡
大東亜戦争におけるシンガポールの歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

「フォード自動車工場(OLD FORD FACTORY)」

「フォード自動車工場(OLD FORD FACTORY)」の概略および歩き方
展示内容詳細

「フォード自動車工場(OLD FORD FACTORY)」の展示内容

「降伏交渉の行われた部屋」

降伏交渉の行われた部屋 降伏交渉の行われた部屋 フォード自動車工場は日英司令官が降伏交渉を行った場所である。建物は長期間にわたって放置されていたが、修復されて2006年に博物館として公開された。山下奉文司令官とパーシバル司令官の銅像である。パーシバルは細身の体型だが、山下は堂々とした体格である。山下の身長は174cm、体重は100kgを越えていたそうである。(←)

シンガポール最後の日と題された漫画絵である。追い詰められた英軍兵士が「エングンハ ドウシタ チャーチル!バカヤロウ!」「モウ アカン」などのセリフを叫んでおり、混乱した英軍の様子が描かれている。(→)

降伏交渉の行われた部屋 降伏交渉の行われた部屋 昭和17年(1942年)2月15日14時過ぎ、ブキテマ街道の第五師団正面に英軍軍使が到着し、シンガポール市庁舎での停戦交渉を提案した。しかし、山下司令官はパーシバル司令官にフォード自動車工場への出頭を求めた。交渉が行われた部屋である。(←)

博物館として公開される前、部屋は荒れ果てた状態であった。修復前の写真が展示されている。現在では当時と同型の椅子が設置されている。(→)

降伏交渉の行われた部屋 降伏交渉の行われた部屋 英軍は15日の時点でも約8万人の兵士が健在であったが、弾薬、食料、水が尽きかけていた。しかし、実は日本軍側も弾薬が尽きかけており攻撃続行が危ぶまれる状態であった。降伏交渉での山下司令官の「イエスかノーか!」のフレーズは、当時の新聞を賑わせが、山下司令官は英軍を降伏させるために敢えて威圧的な態度で臨んだのである。部屋の前に降伏文書のコピーが展示されている。(←)

降伏文書には英軍の武器引渡しや、治安維持のための少数の武装兵を残すことを認めることなどの条件が記されている。文書の最後にはパーシバル直筆のサインが読み取れる。(→)

「銀輪部隊の自転車・日の丸」

銀輪部隊の自転車・日の丸 銀輪部隊の自転車・日の丸 銀輪部隊が使用した自転車である。進撃速度が重視された南方作戦では、現地の自転車を徴発し自転車部隊が編成され、銀輪部隊と呼ばれた。当時品質の良かった日本の自転車は東南アジア各地に輸出されており、故障しても部品調達が容易であった。使用されたのが一般的な家庭用の自転車であった様子がうかがえる。 (←)

日本軍兵士個人のものと思われる日の丸である。「必勝」や「武運長久」などの寄せ書きが隙間なく書き込まれている。(→)

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