シンガポール北部

シンガポール

シンガポールの戦跡
大東亜戦争におけるシンガポールの歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

シンガポールの戦跡

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サリンブン海岸
クランジ海岸
クランジ英連邦戦没者墓地
 (Kranji Commonwealth War Cemetery)

「サリンブン海岸」

サリンブン海岸 サリンブン海岸 シンガポール島北西部のサリンブン海岸である。マレー半島先端のジョホールに到達した日本軍は昭和17年(1942年)8日22時30分(現地時刻、以下同)、ここサリンブン海岸に上陸を敢行した。日本軍の第一次上陸部隊4000名(第五師団・第十八師団)は舟艇300隻に分乗し、ジョホール水道を渡った。上陸地点には豪第22旅団の第18連隊第2大隊と19連隊第2大隊の2個大隊が守備していた。(←)

この地点のジョホール水道の幅は約600m程度である。(→)

サリンブン海岸 サリンブン海岸 上陸は成功し、翌9日に守備隊はクランジ・ジュロン防衛線まで後退した。現在、周辺は海岸線までマングローブなどの樹木が生い茂っている。トーチカなどは残っていないが、当時は防御施設が構築されていたのであろうか。(←)

周辺は軍関係の施設がある。この赤白の塔の付近に「SARIMBUN BEACH LANDING(サリンブン海岸上陸)」記念碑があるらしいのだが、今回は見つからなかった。(→)

なお、この一帯は「Protected Area」の看板が立っているが、途中何度か装甲車や軍人とすれ違ったが特に咎められたりすることはなかった。

「サリンブン海岸」の歩き方

サリンブン海岸 サリンブン海岸 クランジ(Kranji)駅からタクシーで15分、10ドル程度である。駅からWoodlans Rd.、Kranji Rd.、Kranji Way、Neo Tiew Rd.と進む。Neo Tiw Rd.からLim Chu Kang Rd.とのT字路を右折する。ここの交差点には元マーケットだった廃墟がある。廃墟から200mほどのところの左手にゲートを入る。

また、チョア・チュー・カン(Choa Chu Kang)駅からバス975系統で行くこともできる。「Opp Jln Bahtera」バス停下車。バス停から100mほど戻ったところがゲートである。バスは10分〜15分に1本運行している。この付近はタクシーがほとんど走っていないので、バス利用がお勧めである。

サリンブン海岸 サリンブン海岸

ゲートから続く道はJalan Bartera(標識なし)である。この舗装された道からは左右へところどころ道が分岐するが、道なりに2kmほど進む。途中「RAKIT RD」の標識があるが、ここも直進し、さらに進むと右手に池がある。池から300mほどで道が草に覆われて通れなくなるが、その少し手前の砂利道を左に入るとちょっとした広場がある。

この広場の奥から軍関係の施設が見えるが、その手前に海岸に出る門がある。門は施錠されているが、隙間からジョホール水道が見える。また、広場からは赤白の塔が見えている。

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「クランジ海岸」

クランジ海岸 クランジ海岸 昭和17年(1942年)2月8日深夜のサリンブン海岸上陸でシンガポール攻略戦の火蓋は切って落とされた。翌9日22時、クランジ海岸にも近衛師団が上陸を開始した。クランジ海岸近くの公園には「KRANJI BEACH BATTLE(クランジ海岸の戦い)」記念碑が立てられている。(←)

日本軍は引き潮に乗じて上陸を試みたが、守備する豪軍は重油をジョホール水道に流して火を放った。泥に足を取られた将兵は火に巻かれて大混乱に陥った。防衛戦自体は成功していたが、命令の錯誤が発生し豪軍は退却した。

クランジ海岸 クランジ海岸 記念碑には日本語訳と当時の地図も書かれている。(←)

記念碑のある公園はクランジ河の中洲にある(写真左側)。日本軍の実際の上陸地点はこの公園よりも1kmほど西のスンゲイ・ブロー湿地公園 (Sungei Buloh Wetland Reserve)付近であったようである。(→)

クランジ海岸 クランジ海岸 クランジ河はシンガポール島に北から深く切り込んだ湾のような形をしていた。反対側のシンガポール島南側にはジュロン河が南から同様に深く切り込んでおり、東西を分けるようにくびれた地形となっている。英軍はここにジュロン・クランジ防衛線という戦線を形成していた。(←)

クランジ河は現在、堤防でジョホール水道と隔てられて貯水池となっている。(→)

「クランジ海岸」の歩き方

クランジ海岸 クランジ海岸

クランジ(Kranji)駅からバス925系統で「bef Fishing Ground A」バス停下車。バスは10分〜15分に1本程度の運行頻度である。バス停からバスの進行方向にある土手橋を渡ったところにある中州のジョホール水道側に「Kranji Reservoir Park」という公園がある。記念碑はこの公園の中央あたりに設置されている。

なお、クランジ駅からタクシーに乗ると5分で5ドル程度である。駅からはWoodlans Rd.、Kranji Rd.、Kranji Wayと進む。

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「クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery)」

クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
クランジ英連邦戦没者墓地である。ここには第二次世界大戦で戦死したイギリス、オーストラリア、カナダ、スリランカ、インド、マレー、オランダ、ニュージーランドの約24000名の連合軍兵士が祀られている。(←)

入口の門をくぐると石段がある。(→)

シンガポール攻略戦で戦死した連合軍兵士は約5000名であった。なお、日本軍兵士の戦死は1715名であった。

クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
石段の手前左側に碑が2つ設置されている。ひとつは日本軍占領下に送られた23名の特殊部隊に関するものである。(←)

もうひとつには、シンガポール攻略戦の概略と日本軍の進攻ルートの記された地図が描かれている。(→)

クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
階段を上ると、両側に白い墓標が整然と並んでいる。それぞれには氏名のほか所属や戦死日時が刻まれている。(←)

墓標の一つである。「B.O. NORMAN 2/19 INFANITRY BATTALION 8TH FEBRUARY 1942 AGE 23」と刻まれている。このノーマン氏は日本軍が最初に上陸したサリンブン海岸を守備していた豪第22旅団19連隊第2大隊の所属であり、戦死日時は日本軍上陸の日である。恐らく上陸戦で戦死したのであろう。英文で「彼が果たした義務を忘れない」と刻まれている。(→)

クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
墓地は小さい丘の斜面に作られており、頂上部分にはモニュメントと何枚かの壁からなる建物が立てられている。(←)

それぞれの壁には、この墓地に祀られている兵士一人ひとりの名前が刻まれている。(→)

「クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 」の歩き方

クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery) 
クランジ英連邦戦没者墓地(Kranji Commonwealth War Cemetery)

クランジ(Kranji)駅から徒歩10分程度である。クランジ駅の前のWoodlands Rd.に出て左手に行く。すぐに大きい交差点が見えてくるが、ここを越える。

交差点からすぐのところに「クランジ英連邦戦没者墓地」の看板が道路左手にある。看板にしたがって左手の脇道を入って300mほどのところが入口である。

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