アイライ州

コロール島・バベルダオブ島

コロール島・バベルダオブ島の戦跡
大東亜戦争におけるコロール島・バベルダオブ島の歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

コロール島・バベルダオブ島の戦跡

コロール島: アイライ州

アイライ州 アイライ州

海軍通信隊建物跡
ニューKBブリッジ

「海軍通信隊建物跡」

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 「海軍通信隊建物跡」である。(←)
上から見ると十字架のような形をしている。「建物」は二階建てである。

米軍はバベルダオブ島には上陸しなかったが、制空権を完全に握られていたためにしばしば空襲を受けた。
「建物」の一部は大きく崩落しているが、爆撃によるものであろうか。(→)

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 窓が多い構造であり、内部は光が差し込み明るい。(←)

先ほどの二階建ての建物の奥には別の棟がある。こちらは屋根がなくなってしまっている。(→)

建物の周囲には4基の「九六式二十五粍高角機銃」「特二式内火艇」「九五式十三頓牽引車」が置かれている。
これらは「通信隊建物」を守備するためのものではなく、映画「Hell in the Pacific」(1968年:日米合作)の撮影の際にパラオ各地から集められた。

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 「建物跡」を挟むように前後に2基ずつ「九六式二十五粍高角機銃(96式25mm高角機銃)」4基が遺されている。(←)(→)

九六式二十五粍高角機銃」には、単装・連装・三連装の型があり、この4基は全て連装である。

パラオ諸島では、バベルダオブ島以外にも、コロール島の「ベラウ国立博物館」に連装1基が、ペリリュー島にも多数の「九六式二十五粍高角機銃」が遺されている。

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 通信隊建物の手前側(道路側)に「特二式内火艇」が置かれている。「特二式内火艇」とは海軍陸戦隊の水陸両用戦車であり、「九五式軽戦車」をベースとして開発されて昭和16年(1941年)に制式化された。(←)

水上を航行するため、車体の前後にはフロート(浮き)が取り付けられた。この車両ではフロートは失われている。フロートは着脱式で、上陸した後にレバー一本で外せるようになっていた。(→)

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 陸上では戦車同様キャタピラで走行する。この車両では左側のキャタピラは残っているが、右側は失われている。(←)

主武装は「九五式軽戦車」の「九四式三七粍戦車砲(94式37mm戦車砲)」を改良した「九八式三七粍戦車砲(98式37mm戦車砲)」とされた。

この車両の「戦車砲」は失われており、現在取り付けられているのは観光用に再現された鉄パイプである。(→)

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 水上航行時には、車体後部の2基のスクリューを推進力とした。スクリューへの動力は車内のエンジンから供給され、分配器によってスクリューと履帯(キャタピラ)への動力を切替える事が出来た。

この車両ではスクリューは失われている。(←)

隙間から内部を覗き込むことができる。
乗員は6名であった。(→)

なお、コロール島には後部フロートが取り付けられた状態の「特二式内火艇」が遺されている。(詳細

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 建物跡の裏手側に「九五式十三頓牽引車」(95式13トン牽引車・ホフ車)が遺されている。(←)

全幅2.8m、全長4.8m、全高2.3m、重量13トン、速度13km/h(非牽引時)、出力160馬力である。

重量37トンの「九六式二四糎榴弾砲(96式24cm榴弾砲)」やその資材を牽引する為に開発された。(→)

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 エンジンカバーが失われ、エンジンが露出している。(←)
前面のプロペラはエンジンに冷却液を送るラジエータを冷やすためのファンである。

ガソリンエンジンの甲型とディーゼルエンジンの乙型があった。

後部に起重機(クレーン)を装備しているのが特徴である。(→)

「海軍通信隊建物跡」の歩き方

海軍通信隊建物跡 海軍通信隊建物跡 コロール島からは「ニューKBブリッジ」を渡ったところで突き当たるT字路を右折する。

右折してから道なりに4kmほど行ったところの左手である。「建物跡」は大きく、道沿いに建っているのですぐに分かるだろう。
「パラオ国際空港」の南の位置になる。

「建物跡」の見学や撮影にはアイライ州の発行する許可証(5ドル、2011年現在)が必要である。時々スタッフが巡回しているようである。

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「ニューKBブリッジ」

ニューKBブリッジ ニューKBブリッジ コロール島とバベルダオブ島を結ぶ「ニューKBブリッジ」である。(←)

KはKoror(コロール)、BはBabeldaob(バベルダオブ)の頭文字である。施工は鹿島建設である。

橋長は412.3mの立派な橋である。主塔と斜材により主桁を支える外ケーブル構造によるエクストラドーズド橋と呼ばれる形式である。(→)

ニューKBブリッジ ニューKBブリッジ 平成9年(1997年)、日本の政府開発援助(ODA)によって建設された。
正式名称は「日本・パラオ友好の橋」である。

橋のたもとには「記念碑」が建てられている。(←)

「橋」は海面からそここの高さがあり、眺めは良い。(→)

ニューKBブリッジ ニューKBブリッジ 橋の手前の脇道から橋の下へ行くことができる。(←)

「ニューKBブリッジ」は「旧KBブリッジ」が崩落したために新しく建設されたものである。
「旧KBブリッジ」は入札の際に鹿島建設の半額を提示した韓国の建設会社によって昭和52年(1977年)に建設されたが、平成8年(1996年)、突如中央部から真っ二つに折れて崩落した。(→)

ニューKBブリッジ ニューKBブリッジ 橋の下には「旧KBブリッジ」が建設された時の「記念碑」が残っている。(←)

ハングルとアルファベットの碑文が刻まれているが、何者かによって「KOREA」の文字が削り取られている。(→)

「ニューKBブリッジ」の歩き方

ニューKBブリッジ バベルダオブ島とコロール島の間にかかる橋である。

通行は無料である。

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