アルモノグイ州

コロール島・バベルダオブ島

コロール島・バベルダオブ島の戦跡
大東亜戦争におけるコロール島・バベルダオブ島の歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

コロール島・バベルダオブ島の戦跡

コロール島: アルモノグイ州

アルモノグイ州 アルモノグイ州

安式四十口径十五糎速射砲
 (アームストロング式40口径15cm速射砲)
零式艦上戦闘機(零戦)の残骸
旧朝日村のパイン缶工場跡
艦上爆撃機「彗星」の残骸

「安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲) 」

安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
バベルダオブ島西側の海を見渡すことのできる高台に「安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)」4門(「海軍砲台」)が遺されている。 (←)

日露戦争(明治37年2月8日〜明治38年9月5日)に於いて、英国アームストロング社製「QF 6 inch /40 naval gun(40口径6インチ速射砲)」180門が輸入され戦艦・巡洋艦の副砲として使用された。
これを準国産化した火砲が「安式四十口径六吋速射砲(アームストロング式40口径6インチ速射砲)」「安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)」であった。(6インチ≒15.2cm)

安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
北海道炭礦汽船會社とアームストロング社の合弁会社である室蘭の日本製鋼所で「安式四十口径六吋速射砲」「安式四十口径十五糎速射砲」を国産化し、明治41年(1908年)、「四一式四十口径十五糎砲(41式40口径15cm砲)」として制式化された。(→)

砲身の尾部の上側に刻印がある。(→)
「鋼線式」「呉海軍造兵廠 明治三拾六年 呉四十六号」「拾五サンチ 速射砲」と読み取れる。製造番号は各砲でそれぞれ異なる。

これらは日露戦争時の火砲である。大東亜戦争時には製造から40年程度経過し、旧式化していた。

安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
海側から見て一番右側の砲のみコンクリート製砲座(トーチカ)内にある。コンクリート壁はかなりの厚みである。(←)

大東亜戦争時、「安式四十口径六吋速射砲」「安式四十口径十五糎速射砲」「四一式四十口径十五糎砲」は、艦載砲として旧式化していたが、沿岸砲台として使用された。現在も太平洋上の島嶼に多数遺されている。
尚、「四一式四十口径十五糎砲」を、当時の平均的日本人の体格に合うように一回り小さくした火砲が、大正3年(1914年)に制式化された「三年式五十口径十四糎砲(3年式50口径14cm砲)」であった。

安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
4門は約10m間隔で一列に並んでいる。内3門はトーチカ等の防壁が無い。沿岸砲台として火砲を運用する場合、この3門は攻撃に対して脆弱である。
トーチカ建設途中で放棄されたか、或いは、この3門は戦後他の場所から運ばれ、トーチカ内の1門とともに観光資源とされたのではないかと思われる。

砲の後ろから弾を装填する後装式火砲は開発当時は画期的なシステムであり、装填時間は従来の十分の一に短縮された。当初は、後装式火砲は「速射砲(QF gun:Quick-firing gun)」として前装式火砲と区別された。後に殆どの火砲が後装式火砲になると、「速射砲」という名称は廃れた。
尾栓は4門とも失われている。(→)

「安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲) 」の歩き方

安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
コロール島方面からは「ニューKBブリッジ」を通ったあと幹線道路を北上する。
アルモノグイ州でNGAREMLENGUIという標識に従って左の横道へ入る。

横道に入って3km程行ったところの右手にダート道があるので、ここを入る。
なお、この「ダート道の入口」を300m程過ぎたところには「小学校」がある。

ダート道を200m程行った右手にちょっとした広場がある。
この広場は斜面となっており、この斜面を登ったところに「砲台」がある。

なお、「小学校」からさらに先に行ったところの右手側に野球場がある。

以前はここに「九六式二十五粍高角機銃」があったそうだが、現在はなくなっている。
おそらくアイライ州の「海軍通信隊建物跡」に運ばれたのではないかと思われる。

ページ先頭に戻る

「零式艦上戦闘機(零戦)の残骸」

零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 アルモノグイ州の幹線道路から入ったところの見晴らしのよい丘の斜面に「日本軍機の残骸」が遺されている。(←)

この日本軍機は、各部の特徴から 「零式艦上戦闘機五二型(零戦52型)」であるとほぼ断定される。

付近は草原となっており、プロペラと垂直尾翼だけが草の上に見えている。(→)
傷みは激しいが各部は原型を留めている。登り斜面に向けて激突を避けて不時着する形となったのだろうか。

零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 プロペラには銘板が取り付けられている。「住友金属工業株式会社プロペラ製造所」と読める。(←)

当時、日本での可変ピッチ・プロペラ(米国ハミルトン社系油圧式)の生産は、制作権を持つ住友金属が行っていた。

前後列6気筒ずつの配列で、12気筒の星型空冷発動機(エンジン)である事が分かる。パイプの配置とシリンダーの形状が「栄二一型」のものと一致する。(→)

零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 「栄二一型」を搭載した「零戦」は複数の型があるが、その大部分は「零戦五二型」(約6000機)である。
それ以外の型の生産機数は数十機〜数百機に留まる。

主翼部分である。(←)
後縁に補助翼(エルロン)が見られる。

胴体部分である。完全にひしゃげており、草に覆われている。(→)

零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 尾翼部分である。(←)
形状は「零戦」の尾翼と良く似ている。

尾翼表面のリベットの配列が「零戦」のものと一致している。

零戦五二型」の尾翼は通常緑に塗装されていたが、この色あせた赤い塗装は錆止めの下地塗料ではないかと思われる。(→)

「零式艦上戦闘機(零戦)の残骸」の歩き方

零式艦上戦闘機(零戦)の残骸 アルモノグイ州でNGAREMLENGUIという標識に従って左の横道へ入る。

横道へ入ってから1.5km程のところの右手側に「ダート道の入口」がある。
ダート道はなんとか普通車で走れるが、途中から凹凸が激しくなるので、入口に停めていく方がよいだろう。

「ダート道の入口」から1km程のところに「採石場跡」がある。

零式艦上戦闘機(零戦)の残骸

ここを越えてさらに500m程行くと、見晴らしのよい「小高い丘」に出る。
右前方には海が見え、その手前に「森」(写真右側の濃い緑の部分)が見える。

「小高い丘」から「森」への緩斜面に「零式艦上戦闘機(零戦)の残骸」が遺されている。

草が生い茂っているので、よく見ないと気づかないだろう。
「小高い丘」から右手側へ続くダート道を200m程行ったところから草をかき分けて斜面を降りたところである。

ページ先頭に戻る

「旧朝日村のパイン缶工場跡」

旧朝日村のパイン缶工場跡 旧朝日村のパイン缶工場跡 アルモノグイ州には日本統治時代に朝日村という村があった。日本人は産業を興し、ここに「パイン缶工場」を建てた。

その「工場跡」が遺されている。(←)

機械部品が散乱している。(→)

ここには毎日2〜3000個のパイナップルが集められてきたそうである。しかし、鉄が軍需物資として不足してくると操業は困難になっていった。

旧朝日村のパイン缶工場跡 旧朝日村のパイン缶工場跡 こちらは釜のようである。生産で加熱したりする工程があったのだろうか。(←)

釜の内部である。(→)

作業は主に沖縄出身の若い女工が担っていたそうである。

旧朝日村のパイン缶工場跡 旧朝日村のパイン缶工場跡 長方形の枠に大量の歯車が入った機械である。パインを搾るためのものであろうか。(←)

貯水槽である。(→)

「旧朝日村のパイン缶工場跡」の歩き方

旧朝日村のパイン缶工場跡 コロール島方面からは「ニューKBブリッジ」を通ったあと幹線道路を北上する。

アルモノグイ州でNGAREMLENGUIという標識に従って左の横道へ入る。
横道に入って500m程のところの右手側が「パイン缶工場跡」である。

「工場跡」は道沿いなので、場所はすぐに分かるだろう。

ページ先頭に戻る

「艦上爆撃機「彗星」の残骸」

艦上爆撃機「彗星」の残骸 艦上爆撃機「彗星」の残骸 パイン缶工場跡」から道を挟んで反対側の広場に艦上爆撃機「彗星」の残骸が遺されている。(←)
エンジンと水平尾翼のみである。

スピナー部分である。プロペラは大きく歪んでいるが、三翅とも残っている。(→)

艦上爆撃機「彗星」の残骸 艦上爆撃機「彗星」の残骸 水冷の熱田発動機である。(←)
空冷エンジンが主流の日本軍機において、水冷エンジンを装備した「彗星」は高性能を期待された。しかし、当時の日本の工作技術では十分な精度を確保して大量生産することが困難であり、故障率は高かった。

写真では分かりにくいが、エンジン中央部に「A I T I」(愛知航空機)のロゴが見られる。(→)
開発は海軍航空技術廠であるが、生産は愛知航空機が担った。なお、このエンジンは上下が逆に置かれている。

艦上爆撃機「彗星」の残骸 艦上爆撃機「彗星」の残骸 艦上爆撃機「彗星」はポテンシャルの高い航空機であったが、当時の日本の技術力では手に余る機体であったと言える。水冷発動機の生産が追いつかず、後半は空冷発動機換装型が主力となった。

水平尾翼である。昇降陀(エレベータ)の構造も残っている。(←)

「艦上爆撃機「彗星」の残骸」の歩き方

艦上爆撃機「彗星」の残骸

コロール島方面からは「ニューKBブリッジ」を通ったあと幹線道路を北上する。

アルモノグイ州でNGAREMLENGUIという標識に従って左の横道へ入る。
横道に入って500m程のところの右手側が「パイン缶工場跡」である。

「艦上爆撃機「彗星」の残骸」はこの「工場跡」から道を挟んだ反対側の広場に置かれている。

ページ先頭に戻る

戦跡の歩き方TOP」へ戻る>> 「大東亜戦争遺跡」へ戻る>> 「パラオ諸島」へ戻る>> 「コロール島・バベルダオブ島」へ戻る>> 「アルモノグイ州

Copyright(C)悠久の沙羅双樹
inserted by FC2 system