アサン(Asan)内陸

グアム島

グアム島の戦跡
大東亜戦争におけるグアム島の歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

グアム島の戦跡

グアム島中部の戦跡:アサン(Asan)内陸

アサン(Asan)内陸 アサン(Asan)内陸

日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT)
アサン展望台ポイント
 (WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK)
ピティ・ガンズ(PITI GUNS)
退役軍人墓地の米艦砲

「日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT)」

日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT) 日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT) ニミッツヒルの「アサン展望台ポイント」の西側、「フォンテヒル(本田台)」に「日本軍司令部跡」が遺されている。看板には「FONTE PLATEAU UNIT」と書かれているだけで詳細な説明はないが、ここが第二九師団司令部と推測される。海軍の通信所であったという説もある。

司令部への入り口はふたつあり柵が設置されているが、左側から入ることができる。(←)

細い通路を通って中に入ると奥に広い空間が広がっている。→)

日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT) 日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT) 昭和19年(1944年)7月25日、上陸した米軍に対する日本軍の総攻撃は失敗に終わり、27日、高品師団長は北部密林地帯での持久戦を下達した。

28日朝、本田台の師団司令部は敵戦車数十輌に包囲された。師団長は北方での再起を図るべく脱出を試みたが、敵機関銃弾を受け戦死した。

中は小学校の教室くらいの大きな空間が広がっている。説明板の英文の説明によると、戦後米軍設営隊によって改築されて現在の壕となったそうである。(←)

「日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT)」の歩き方

日本軍司令部跡(FONTE PLATEAU UNIT) グアム島まで最も安く行くには、不要なコストを削減したネット専業社のグアムツアー を利用するのが良いだろう。

ハガニア地区「アデラップ岬」から6号線を 「アサン展望台ポイント」へ向かう途中の右手にある。
アデラップ岬」からは3kmほど。

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「アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK)」

アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK) アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK) ニミッツヒルの「アサン展望台ポイント」のある丘からは、「アサンビーチ」に橋頭堡を確保した米軍が内陸部に前進してくる動きがよく見えたはずである。

ゆるやかな起伏の斜面の先に広がる薄緑の平坦な地が「太平洋戦争国立歴史公園アサンビーチ」(写真右上側)である。(←)

米軍が上陸した昭和19年(1944年)7月21日〜23日にかけて、日本軍は大隊ごとに夜襲をかけた。

展望台には当時の様子を描いたレリーフが飾られている。(→)

アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK) アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK) アサンビーチ」からニミッツヒルを望む。(←)

米軍は絶え間なく照明弾を打ち上げ、揚陸した戦車を盾としてニミッツヒルから夜襲をかける日本軍に備えた。この高地から斜面を下り突撃した日本兵の中には、アサン・ポイントの米軍の横隊後方深くまで侵入できたものもいたが、攻撃は失敗に終わった。

日本軍の総攻撃を退けた米軍は、翌日にはこの丘に戦車と共に殺到することとなる。説明板には米兵が丘を目指して進撃する様子の写真が展示されている。(→)

アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK) アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK) ニミッツヒルから「オロテ半島」方面を望む。左側の陸地が「オロテ半島」であり、右側の陸地がガブラス島、その間がアプラ港なっている。(←)

オロテ半島」には日本軍の飛行場があったが、米軍上陸時は既に航空機は全て喪失していた。現在は「オロテ半島」は軍用地となっており、今も米海軍の飛行場として使用されている。 「オロテ半島」陥落後、米設営部隊はアプラ港を拡張し、日本本土攻撃と前線補給基地として太平洋でもっとも繁忙を極めた港の一つとなった。

また、展望台の裏手には「FONTE PLATEAU BATTLEFIELD」の看板が立っている。(→)

「アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK)」の歩き方

アサン展望台ポイント(WAR IN THE PACIFIC NATIONAL HISTORICAL PARK ASAN OVERLOOK) アデラップ岬」で1号線から6号線を左折(南へ)する。
交差点から5kmほど行った右手に「展望台」がある。

「FONTE PLATEAU BATTLEFIELD」の看板は、「アサン展望台ポイント」からさらに6号線を南西へ400mほどいったところのT字路を左折したところすぐの左手にある。

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「ピティ・ガンズ(PITI GUNS)」

ピティ・ガンズ(PITI GUNS) ピティ・ガンズ(PITI GUNS) アサン岬の西側、ピティ湾の内陸の山を少し登ったところに「三年式十四糎単装砲」3門が遺されている。

1つめの「砲」である。(←)

緊急配備されたものの米軍の上陸までに完成が間に合わず、使用されることはなかった。発砲しなかったため戦時中は米軍には発見されず、戦後になって発見された。説明板の写真では、「砲」の上に草がかぶせられて偽装されていた様子が分かる。(→)

ピティ・ガンズ(PITI GUNS) ピティ・ガンズ(PITI GUNS) 口径は140mm、全長は7.237mと長く、砲身重量は5500kgと見た目にもかなりの迫力がある。
本砲は大正3年(1914年)に採用され、軽巡洋艦の主砲や、旗艦の標準的な副砲として使用された他、沿岸防御用としても多く使用された。(←)

2つめの「砲」は据え付けられずに横倒しに転がされている。(→)

ピティ・ガンズ(PITI GUNS) ピティ・ガンズ(PITI GUNS) 3つめの「砲」は砲架に設置され、周りをコンクリートブロックで囲われている。最も工事が進んでいたようである。(←)

現在、この高台に築かれた砲座の前には木が生い茂っているが、当時は米軍の上陸した海岸がよく展望できたであろう。(→)

「ピティ・ガンズ(PITI GUNS)」の歩き方

ピティ・ガンズ(PITI GUNS) ピティ・ガンズ(PITI GUNS) 1号線をアサン岬より西へカブラス島方面に行く。カブラス島へ向かう11号線とのT字路に信号があるが、その信号の500mほど手前(1号線沿いに東)に南に入る路地がある。

路地を200mほど進むとT字路に突き当たるので右折してしばらく行くと左手にOur Lady of Assumption Church(教会)がある。この教会の裏側の山のふもとに「ピティ・ガンズ」への山道の入り口と案内板がある。

教会は大通りに面していないので見付けづらい。

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「退役軍人墓地の米艦砲 」

退役軍人墓地の米艦砲 退役軍人墓地の米艦砲 ピティ地区には「退役軍人墓地」がある。(←)

ここには「米艦砲」が遺されている。「艦砲」は2連装である。型式等は不明である。(→)

退役軍人墓地の米艦砲 退役軍人墓地の米艦砲 米海軍の協力によってこの「墓地」に寄贈されたものである。

裏側に回ると砲塔内に入る入口がある。(←)

ハンドルのようなものがある。照準を合わせる装置であろうか。(→)

「退役軍人墓地の米艦砲 」の歩き方

退役軍人墓地の米艦砲 タモン地区から1号線を南西へ。

ハガニアから?kmほどで6号線との交差点(信号機あり)がある。

この交差点からさらに1kmほど行ったところの左手が「墓地」となっている。

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