太平洋戦争博物館(Pacific War Museum)

グアム島

グアム島の戦跡
大東亜戦争におけるグアム島の歴史
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「太平洋戦争博物館(Pacific War Museum)」

「太平洋戦争博物館(Pacific War Museum)」の概略および歩き方
展示内容詳細

「太平洋戦争博物館(Pacific War Museum)」の展示内容

「写真展示」

写真展示 写真展示 博物館は日本側、アメリカ側に分かれて展示されている。正面入口を入って右手側が日本側の展示となっている。日本側展示は手前側が写真展示、奥側が火器の展示となっている。(←)

アデラップの対戦車水路である。深さ2m、幅3mの水路が海岸まで垂直に掘られていた。(→)

写真展示 写真展示 炎上する「九五式軽戦車(95式軽戦車)」である。ハッチの部分から煙が出ている。(←)

天皇陛下の玉音放送を聞き入る捕虜収容所の日本軍兵士である。みなうつむいて落胆した表情をしている。(→)

写真展示 写真展示 日本軍機の風防ガラス。説明文によると「キ100(五式戦闘機)」のものとされているが、五式戦闘機の初飛行は1945年2月であるので実際は別の機種のものと思われる。(←)

横井庄一元伍長に関する展示である。横井氏は昭和20年(1945年)の終戦を知らず、27年後の昭和47年(1972年)に地元の猟師に発見され、日本への帰還を果たした。横井氏がジャングルに隠れて生活していた洞窟の模式図も展示されている。(→)

「日本軍火器」

日本軍火器 日本軍火器 「九四式軽迫撃砲(94式軽迫撃砲)」である。通常の迫撃砲ではなく、毒ガス戦用のガス弾投射機として開発された。口径は90.5mmである。(←)

砲弾であるが、迫撃砲に対応するものかどうかは不明である。(→)

日本軍火器 日本軍火器 九二式重機関銃(92式重機関銃)」であり、当博物館には4丁収蔵されている。口径7.7mmで発射速度は450発/分、重量は27.6kgである。機関銃としては発射速度は遅かったが、光学照準機(スコープ)を装備しており、遠距離での命中精度はかなり高かった。(←)

銃把は折りたたみ式ハ字型銃把が特徴的であり、引金式ではなく押金式であった。左側の銃把の握り部分は失われている。給弾方式は30発保弾板を使用していた。(→)

日本軍火器 日本軍火器 「九七式自動砲(97式自動砲)」であり、当博物館の銃の中では最も大型で迫力がある。日本陸軍が大東亜戦争中に制式化した唯一の対戦車ライフルであった。口径は20mmで発射速度は20発/分、重量は59.0kgである。(←)

貫通能力に関しては諸説あるが、射程350mで30mm、700mで20mmの鉄板を貫通でき、装甲兵員輸送車程度を相手にするには有効であった。しかしながら、M4シャーマン戦車は砲塔正面の装甲は88.9mm、車体後面でも38.1mmであり、「九七式自動砲(97式自動砲)」をもってしても威力不足であった。(→)

日本軍火器 日本軍火器 失われている部品が多いが、「九二式重機関銃(92式重機関銃)」である。(←)

日本陸軍が開発したグレネードランチャー、「十年式擲弾筒(10年式擲弾筒)」である。距離を目測する上、射程の設定が複雑、また手榴弾の弾道性能が劣悪と、誤差が多く重なるため命中率は悪かった。しかし、後の「八九式重擲弾筒(89式重擲弾筒)」が列国小型迫撃砲と比較して高い実用性を得る上で、貴重な経験を陸軍にもたらした。(→)

日本軍火器 日本軍火器 「九三式十三粍重機関銃(93式13mm重機関銃)」である。口径13.2mmで発射速度は450発/分、重量は40kgである。日本陸軍が地上での防御兼対空用に開発したが、後には海軍も艦艇と要地防衛用に装備した。(←)

給弾方式は30発入り箱型弾倉式である。(→)

日本軍火器 日本軍火器 説明板には、車両に内蔵された榴弾砲、とある。「九五式軽戦車(95式軽戦車)」の「九四式三十七粍戦車砲(94式37ミリ戦車砲)」と推測される。(←)

説明板には2式タイプ軽機関銃となっているが、正しくは「十一年式軽機関銃(11年式軽機関銃)」である。「九六式軽機関銃(96式軽機関銃)」と「九九式軽機関銃(99式軽機関銃)」用の防盾が前に置かれている。防盾には銃剣を出す切り欠きがあるが、「11年式軽機関銃」に銃剣は付かない。(→)

日本軍火器 日本軍火器 「八九式重擲弾筒(89式重擲弾筒)」は発射筒と根元の細い支柱、その先の台座からなる。台座を地面に立て目分量で角度を調整したあと、支柱に沿った引き金を使って擲弾を発射した。射程は最大で670m、威力は手榴弾約2個分であった。(←)

台座は太腿にぴったり合うように湾曲しているが、地面に立てて発射するものである。米軍兵士の間では、鹵獲した擲弾筒をニー・モーター(膝撃ち迫撃砲)と呼んだ。片膝を立てた姿勢で腿の上に乗せて発射する物と勘違いし、実際に行った者が反動で大腿骨を複雑骨折したという逸話が残っている。(→)

日本軍火器 日本軍火器 小畑中将のものと推測されている刀である。軍刀ではなく小畑家に代々受け継がれてきた古刀である。日本への返却が検討されているが未だ実現していない。(←)

小銃類である。重要拠点と考えられたマリアナ諸島には、「三八式歩兵銃(38式歩兵銃)」の後継の「九九式短小銃(99式短小銃)」が優先配備された。(→)

「米軍火器」

米軍火器 米軍火器 「Rocket Launcher M9A1(ロケットランチャー)」であるが、「バズーカ」の通称の方がなじみがあるだろう。初速の遅い砲弾でも高い装甲貫通力を発揮させる成型炸薬弾頭(HEAT)を発射した。射程は約140mと長くはなかったが、「九五式軽戦車(95式軽戦車)」にとって大きな脅威となる歩兵用携行火器であった。下は銃剣付きの「1903 Springfield rifle(スプリングフィールド1903小銃)」である。(←)

中央部にスコープと、距離に応じて調整すると思われる目盛りが付いている。また、引き金の手前には「SAFE」「FIRE」のスイッチが付いており、安全装置と思われる。(→)

米軍火器 米軍火器 機銃である。型式は不明であるが、仰角を大きく取れるようになっており、対空射撃用であろうか。弾丸はかなりの太さである。(←)

「M1919 Browning machine gun(ブローニングM1重機関銃)」である。大正8年(1919年)から昭和20年(1945年)まで製造された。口径は7.62mmである。(→)

「屋外展示建物裏手側」

屋外展示建物裏手側 屋外展示建物裏手側 航空機の尾部である。説明板等は特にないが、垂直尾翼前方に伸びたヒレが特徴的であり、「九九式艦上爆撃機(99艦爆)」と思われる。急降下爆撃に必要とされる飛行安定性を確保するためにこのヒレが取り付けられた。(←)

垂直尾翼と一部の水平尾翼以外は失われている。(→)

屋外展示建物裏手側 屋外展示建物裏手側 「四五口径十年式十二糎高角砲(45口径10年式12cm高角砲)」が2門展示されている。口径120mmであり、最大射程は15600m、最大射高は10065mである。単装砲が当時の重巡洋艦各型に、機力、連装化されたものが赤城、加賀に搭載された他、陸上砲としても使用された。(←)

錆止めの塗装のために分かりくくなっているが、砲の後部に刻印が入っている。(→)

屋外展示建物裏手側 屋外展示建物裏手側 一式機動四十七粍速射砲(一式機動47ミリ速射砲)」が2門展示されている。口径は47mmで重量は800kgである。「M3軽戦車(スチュアート)」を撃破する貫通能力を有していたが、「M4中戦車(シャーマン)」に対してはやはり威力不足ではあった。しかし、沖縄戦では待ち伏せて側面などの狙い撃つなど弱点射撃に徹して「シャーマン」を撃破した記録が残っている。(←)

1門は防盾の右下部分が失われているが、保存状態は良い。(→)

「屋外展示建物左手側」

屋外展示建物左手側 屋外展示建物左手側 航空機のプロペラである。機種等の情報はなく、詳細不明である。(←)

ハブ部分である。(→)

屋外展示建物左手側 屋外展示建物左手側 道路に面した場所にも「(45口径10年式12cm高角砲)」が1門展示されている。(←)

こちらも砲後部に刻印が入っている。塗装が薄いためか、はっきりと読み取れる。「重量二九一〇瓩(キログラム)」「九三〇号」「呉海軍工廠 四十五口径 十年式十二糎高角砲 昭和十九年」「五六六〇号」と刻まれている。(→)

屋外展示建物左手側 屋外展示建物左手側 「(改造)三八式野砲(38式野砲)」である。「38式野砲」を更新するときに、経済的、時間的理由から改造とされたのが「改造38式野砲」である。(←)

「38式野砲」は改造されて脚が一本から二本となったのが特徴である。本砲のタイヤと脚はオリジナルではなく、戦後に取り付けられたものである。オリジナルの脚を見ればどちらかは一目瞭然であるが、本砲はどちらなのかは不明である。(→)

屋外展示建物左手側 屋外展示建物左手側 米軍車両である。赤十字のマークがペイントされている。(←)

こちらも米軍車両である。装甲は特にないようだが、悪路走行用のためかキャタピラ式である。(→)

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