軍刀である。明治維新を経た大日本帝国は近代的な国軍を創設するために欧州列強国の様式を取り入れた。陸軍はフランスに範をとり、サーベルを軍刀として制式とした。兵器の進化に伴って各国で軍刀は廃止されていったが、第二次世界大戦の時点で軍刀を主要装備として運用していた国は日本と幾つかの国のみであり、常勤時も軍刀を常に佩用していたのは日本軍のみであったようである。(←)
サイレンである。(→)
辞書である。表紙には「Nippon Go-Malay-English Dictionary」と書かれている。軍政を敷くにあたり、現地での折衝などに使用したものであろうか。(←)
ヘルメットである。正式名称は「鉄帽」であるが、一般には日本古来の表現である「鉄兜」と呼ばれていたようである。本品の型式は不明であるが、大東亜戦争で広く使われた昭和5年(1930年)に制式採用された「九〇式鉄帽」ではないかと思われる。手榴弾や砲弾の破片を防げるように設計された。昭和13年(1938年)には小銃弾への耐久性を強化した「九八式鉄帽」が制式化されたが、生産数は少なかったようである。(→)
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銀輪部隊と呼ばれた歩兵が使用した自転車である。歩兵の進撃速度を上げるため、現地の自転車を徴発し急造の自転車部隊が編成された。当時品質の良かった日本製自転車は東南アジア各地に輸出されており、故障時の部品調達も容易であった。(←)
博物館の裏口側にはマレー鉄道で運用されていた蒸気機関車が展示されている。マレー鉄道はイギリス植民地時代に錫鉱石を輸送するのに敷設されたのが始まりである。「マレー作戦」において、鉄道の修復には鉄道第九、第五連隊があたった。(後に泰緬鉄道建設に従事) なお、この車両はイギリス製で1921年から戦争中を通して1969年まで使用された。(→)
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