・第一軍道 ・第二軍道 ・旧師団司令部庁舎 ・第三軍道 ・騎兵第二十連隊跡石碑
京都市内から河原町通りを南下すると伏見区に入る。警察学校を越え、龍谷大学を西に見る交差点が「師団街道龍大前」である。この交差点で師団街道(南北の道)と交差するのが第一軍道(東西の道)である。この第一軍道は師団の錬兵場と師団駐屯地とを結ぶ道路であった。(←)
この交差点から第一軍道を東(山側)に進むと橋がある。現在の橋は自動車が通過出来るように舗装されている。(→)
橋の北西のたもとには石碑がある。石碑には「昭和三年参月竣工」と読める。なお、この川は琵琶湖疏水という人工河川である。琵琶湖疏水は第1疎水が明治23年(1890年)、第2疎水が明治45年(1912年)に完成した。第1疎水の完成は陸軍歩兵第十六師団創設よりも古い。(←)
当時は第一から第三軍道まであり、第一軍道はこの中で一番北に位置する。第一軍道から南を見たところ。(→)
JR奈良線稲荷駅から南へ500mほど。京阪本線深草駅からは南へすぐの場所に橋がある。
赤茶色の龍谷大学が北西に見える交差点が「師団街道龍大前」、師団街道と第一軍道が交差している。「師団街道龍大前」から東(山側)に進むと疎水に架かる橋が見える。
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第一軍道より更にもう一本南にあるのが第二軍道である。ここにも同様に疎水にかかる橋がある。第一軍道の橋から疎水沿いに遊歩道があり、南に下っていくと車の通る古い立派な橋が見えてくる。現在、第二軍道という看板は無いが、この2車線道路が第二軍道である。(←)
橋の北西のたもとには「師団橋」という石碑がある。(→)
この橋の中央部の橋脚には陸軍の桜の花弁(通称:星のマーク)が浮き彫りで現存している。当時、第二軍道は師団司令部に直結する正に表玄関とも言える道路であり、特に重要視された。(←)
その工事においては師団隷下の工兵第十六大隊が直轄工事を行った。橋の南東にも石碑があり、上部が破損しているものの「第十六大隊架設」「参月竣功」という文字がかすかに読み取れる。 当時の工兵大隊の工事を裏付けるものであろう。(→)
橋の付近にはこのような石柱が多数残されている。文字等は一切刻まれていないが、これもおそらく軍道の石柱だったと思われる。(←)
中にはアパートの駐輪場で自転車の盗難防止チェーンの支柱になっているものもあった。戦後65年を経て尚、国民の財産を護っている姿が頼もしい。(→)
第一軍道にかかる橋から南へ疎水の遊歩道沿いに500mほどの場所である。
京阪本線藤森駅からは北へ200mほどである。
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第二軍道を更に東(山側)に進み、突き当り右折(南下)すると、左手に古い建物が見えてくる。これは当時の陸軍第十六師団司令部庁舎である。完成は明治40年(1907年)である。現在は聖母女学院という学校法人が管理している。当然、無断で立ち入ってはいけない。(←)
旧師団司令部正面の門柱。石と煉瓦で造られているようである。日本各地に現存するる旧日本軍の施設にも同様な構造の門が多く見られる。(→)
門柱脇の「陸軍用地」の石碑である。かつてここが陸軍の所有地であったことを示す証拠である。(←)
付近一帯は古い住宅地になっており、この石碑や門柱のすぐそばもアパートである。ひっそりと佇んでいた。(→)
第二軍道の疎水に架かる橋(橋脚に「星のマーク」のある橋)からさらに東(山側)にすすむ。突き当りを右折(南下)して進むと、左手に旧師団司令部庁舎が見えてくる。ここが現在の聖母女学院の正門である。
正門の門柱脇に陸軍用地石碑がある。旧師団司令部庁舎は聖母女学院敷地内にある為、無断で立ち入ってはいけない。
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師団街道から師団司令部への道は第一軍道・第二軍道・第三軍道があった。第一軍道・第二軍道は車の通れる道として現存している。第三軍道は現在、当時の形をとどめていない。第二軍道から更に南に名神高速道路の高架がある。この高架の下がかつての第三軍道である。(←)
旧第三軍道(名神高速道路の高架)より少し北に疎水に架かる橋がある。ちょうど京阪電車「藤森駅」の目の前である。(→)
橋の欄干に刻印がある。それによると昭和3年(1928年)7月に架橋された事が分かる。第一軍道・第二軍道の疎水に架かる橋も昭和3年(1928年)3月であった。(←)
師団司令部庁舎が完成したのは明治40年(1907年)であり、その時には更に古い橋があったと考えられる。疎水に架かる橋はいくつかあるが、これらは昭和3年(1928年)前後に師団の工事としてまとめて架け直されたものと推測される。
なお、藤森駅のすぐ南側には名神高速道路の高架が通っている。
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旧第三軍道(名神高速道路の高架)沿いに「騎兵第二十連隊跡」の石碑がある。(←)
台の上に大きい石碑が立っており、その後ろには連隊史が書かれている。(→)
「明治三十八年七月第十六師團ノ騎兵聯隊トシテ姫路ニ於イテ編成 同年八月軍旗拝受 明治四十一年十一月此地ニ移設 昭和十六年捜索第十六聯隊ニ改編 同年三月軍旗奉還 昭和二十年八月比島ニ於イテ歴史ヲ閉ズ 尚當聯隊ニ於イテ編成サレタ部隊ハ左ノ通リ 昭和十三年 騎兵第百二十大隊(中支方面) 昭和十六年 捜索第五十三聯隊(ビルマ方面) 昭和五十年四月二十七日 騎兵二十連合会建之」(←)
石碑の横には石の柱がある。かつての騎兵連隊の敷地内にあったもののようである。鉄の輪が付いており、馬を繋ぐための柱だったと思われる。(→)
京阪本線藤森駅からは、すぐ南にある名神高速道路の高架をくぐり、高架沿いに東(山側)に進む。深草小学校を越え、左手の住宅地の端に「騎兵第二十連隊跡」の石碑が見えてくる。すぐ後ろは名神高速道路の高架、周辺は住宅地である。藤森駅からは約400mほどである。
旧師団司令部(聖母女学院正門)からは、南に進むと名阪高速道路の高架が見えてくる。これをくぐって左折する。300メートルほど進むと左手に騎兵第二十連隊跡」の石碑が見えてくる。
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