ダイヤモンドヘッド周辺

オアフ島

オアフ島の戦跡
大東亜戦争におけるオアフ島の歴史
現地への行き方と現地交通情報(旅行情報)

オアフ島の戦跡

オアフ島東部:ダイヤモンドヘッド周辺

ダイヤモンドヘッド周辺 ダイヤモンドヘッド周辺

ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger)
ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger)
ルージャー要塞ハーロウ砲台
 (Battery Harlow)

「ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger)」

ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) 「ダイヤモンドヘッド」である。(←)
オアフ島」のランドマークとして有名であり、 「ワイキキ」の海岸からその特徴的な姿を展望する事が出来る。ハワイ諸島の現地語では「レアヒ(マグロの額)」と呼ばれている。「ダイヤモンドヘッド」は約30万年前に活動した火山の噴火口であった。

外輪山に囲まれたクレーターになっており、クレーター内部(噴火口)は約1.4kuの広さがある。外輪山の南西側が最も高い。これは、噴火中の風によって堆積物が南西側に多く堆積した為である。(→)

ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) 18世紀後半、西欧の探検家が噴火口の壁面に光る方解石の結晶を見つけ、ダイヤモンドと見誤った事から、「ダイヤモンドヘッド」と呼ばれるようになった。

外輪山は噴火による凝灰岩で形成され、その後の侵食によって独特の景観をつくっている。昭和61年(1986年)にアメリカ合衆国自然史跡に指定された。(←)

現在、公園として山頂までの登山道が整備されている。(→)

ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) 「ダイヤモンドヘッド」は、明治37年(1904年)に軍用地として買い上げられ、「ルージャー要塞(Fort Ruger)」の一部に組み込まれ、各種施設が建設された。
現在の登山道は、「ルージャー要塞」の施設として明治41年(1908年)に建設された軍用道で、山頂に建設された 「射撃指揮所」まで通じていた。(←)

途中には岩盤をくり貫いたトンネル等が遺されている。これも「ルージャー要塞」の施設であった。(→)

ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) 山頂へ通じるの軍用道の一部は、観光用の登山道として整備され、公開されている。(←)(→)

登山道は、登山道入口から山頂までは片道1.3km、噴火口から山頂までの高さは171mあり、大人の足で約1時間である。 手すりなどが整備されてはいるが、後半は、狭い箇所や急な箇所が多数あり、足元も岩場で平坦では無い。その為、サンダルなどの軽装は避け、履き慣れた靴と、日差し対策の帽子、水等を携行していくべきである。安易な登山による怪我は、他の観光客の迷惑である。

ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) 登山道の終点は、山頂の展望台である。この展望台が「射撃指揮所」であった。(←)
ここは標高232mであり、「オアフ島」南東部が一望できる。沿岸防衛には最適の場所であった。

山頂の岩盤をくり貫いた「射撃指揮所」と、山頂の一番上の「監視所」が、現在は展望台として整備され、公開されている。

一番上の「監視所」に上ると、「ワイキキ」の市街地が一望できる。(→)

「ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger)」の歩き方

ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ワイキキ」の市街地からは、Route 22.23.24のバスで行く事が出来る。Route 22は毎週火曜日は運休している。バスの所要時間は、乗る場所にもよるが、市街地東部の「ホノルル動物園」付近からは10〜15分程である。
ハワイ大学カピオラニ校舎前の停留所の次が最寄の停留所である。有名な場所なので、バスの運転手が知らせてくれる場合もある。

最寄の停留所(写真左)降りると、「ダイヤモンドヘッド」の外輪山へと続く舗装された道がある。
5分程登ると、道が右に曲がる場所があり、ここは展望台にもなっている。

ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ダイヤモンドヘッド(Fort Ruger) ここを曲ると「カハラトンネル」がある。「カハラトンネル」は外輪山をくり貫いて掘られており、クレーター(噴火口)内部に入る事ができる。ここは歩行者も通行可能であるが、自動車も通り、暗くて狭い為、通行時は注意が必要である。
「カハラトンネル」も「ルージャー要塞」の軍用道として建設された。

噴火口に入り(写真右)、10分程歩くと、駐車場と公園入口の受付がある、ここで入園料1ドルを払う。ここには「公衆トイレ」「自動販売機」があるが、ここか

ページ先頭に戻る

「ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger)」

ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) ダイヤモンドヘッド」の山頂に「ルージャー要塞射撃指揮所」が遺されている。(←)

明治41年(1908年)から「ダイヤモンドヘッド」の要塞化が開始され、明治42年(1909年)までに山頂の岩盤をくり貫いて、4層の構造を持つ「射撃指揮所」が建設された。

コンクリートで覆われた観測用窓は、当時は鎧戸でが設けられていた。背後に見えるのは 「ワイキキ」の市街地である。(→)

ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) 外部はコンクリートと岩盤で擬装され、海上から発見されにくいようになっている。(←)

内部は、コンクリート壁の部屋になっており、観測用機器の台座が遺されている。(→)

現在、「射撃指揮所」の下から第3層目が展望台として一般に公開されおり、ここから外の展望台に出る事ができる。 この第3層目からは、「ダイヤモンドヘッド」外輪山北側の外壁に建設された 「ハーロウ砲台」に対する射撃指揮を行った。

ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) 第3層目の上の第4層目は、戦闘時に指揮官が位置し、各砲台からの射撃全般の指揮をとった。
現在は公開されておらず、外からは第3層目の上に第4層目の観測用窓が見える。(←)
山頂の一番上には「監視所」が遺されている。こちらは階段が整備され、展望台として公開されている。

展望台には「射撃指揮所」の構造図がある。(→)
下の第1層目、第2層目は、「ワイキキ」に建設された「デラッシー要塞(ランドルフ砲台・ダドリー砲台)」に対する射撃指揮を行った。

ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) 山頂の「射撃指揮所」には、麓(噴火口)から軍用道が建設された。この軍用道は、現在は登山道として整備されている。

登山道の途中にある展望台は、噴火口から山頂に物資を輸送するためのケーブルとウインチが設置されていた。現在、ケーブルは撤去されているが、ウインチが遺されている。こからは噴火口を一望する事が出来る。(←)
登山道の階段やトンネルは全て軍用道であった。(→)

ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) 大きな階段が途中2箇所ある。噴火口から2箇所目の階段は99段あり、左右はコンクリートの外壁である。天井は無く、横木が渡してあるが、かつてはこの横木に擬装網がかけられていた。 (←)

階段の登り口も展望台になっており、ここからも噴火口や外輪山がよく見える。

階段を登りきると「射撃指揮所」の第1層目である。上の階層に登る為の螺旋階段が設置されており、第3層目までは52段ある。狭くて暗いので足元に注意が必要である。(→)

「ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger)」の歩き方

「射撃指揮所」は、「ダイヤモンドヘッド」の外輪山南西側の山頂(標高232m)に遺されている。山頂まで登山道が整備されているので、道に迷う事は無いだろう。

ダイヤモンドヘッド」の噴火口の中央にある公園入口が登山道の始まりである。
公園入口までは「ダイヤモンドヘッド」の歩き方を参照。
公園入口には受付があり、ここで入園料1ドルを払う。ここから先は、「公衆トイレ」「自動販売機」は全く無いので、登山前に用を足しておいた方がよいだろう。

ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) 登山道に従って歩くと、始めは比較的平坦で広いが、外輪山に近づくと急に道が険しくなる。狭い箇所や急な箇所があり、足元も平坦でなくなるので注意が必要である。登山道から外れて歩いてはならない、登山道以外は軍用地であり、また、落石の危険がある。

外輪山を登り始めて九十九折の箇所を過ぎた辺りに、1箇所目の展望台(ウインチ台)がある。この先に1箇所目の階段(74段)がある。(写真左)
1箇所目の階段(74段)を上りきるとトンネルがある。内部は暗くて狭い。トンネルは途中で左に曲がっている。

ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) ルージャー要塞射撃指揮所(Fort Ruger) トンネルを抜けて直ぐ右が2箇所目の階段(99段)である。左には2箇所目の展望台がある。2箇所目の階段(99段)を登ると、コンクリート壁のトンネルになっているが、これが「射撃指揮所」の第1層目である。まっすぐ進むと螺旋階段がある。52段登ったところが第3層目であり、ここから「射撃指揮所」の観測用窓が見える。

観測用窓の一部から外に出られるようになっている。(写真右)
外に出ると更に道が整備されており、階段を登って山頂の一番上の「監視所」まで行く事ができる。

ページ先頭に戻る

「ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) 」

ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) ダイヤモンドヘッド」外輪山北側の外壁に「ルージャー要塞ハーロウ砲台(Fort Ruger / Battery Harlow)」が遺されている。(写真@)(←)

以前は、近くまで見学できたようであるが、現在は柵で囲われ、内部は立ち入り禁止である。(写真A)(→)

「ハーロウ砲台」は、「ダイヤモンドヘッド」の要塞化に伴い、明治43年(1910年)に建設された沿岸防備用の砲台であった。

ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) 砲台は2つの砲座を持ち、各砲座は三方を土塁で囲われ、砲台全体としては「ヨの字」型をしていた。1つの砲座には4つの砲床があり、12inch臼砲が設置されていた。砲台全体では12inch臼砲8門を有した。 「ヒッカム米空軍基地」内に遺されている「カメハメハ要塞ハスブルック砲台」と同じ構造であった。(←)

砲台は「ダイヤモンドヘッド」外輪山北側の外壁に位置し、ここからは直接海上を視認出来なかった。その為、「ダイヤモンドヘッド」の山頂の「射撃指揮所」からの指揮を受けて射撃を行った。(写真C)(→)

ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) この様に、砲台から直接照準せずに行う射撃を間接射撃と言い、間接射撃では、砲台が海上の敵艦船から視認されない為、防御上有利であった。

砲座の周囲の土塁の内部や上部には、砲台の指揮所や兵舎が設けられていた。(写真D)(←)

昭和5年(1930年)の「ハーロウ砲台」。「ダイヤモンドヘッド」の外輪山越しに曲射する臼砲の様子が良く分かる。(→)
「ハーロウ砲台」も含め、「ダイヤモンドヘッド」周辺に建設された砲台は、実戦では1度も使われず、昭和25年(1950年)に廃止された。

「ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) 」の歩き方

ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) ダイヤモンドヘッド」外輪山北側の外壁に遺されている。

ワイキキ」の市街地からは、Route 22.23.24のバスで行く事が出来る。Route 22は毎週火曜日は運休している。の市街地からは、Route 22.23.24のバスで行く事が出来る。Route 22は毎週火曜日は運休している。

ダイヤモンドヘッド」の最寄の停留所の1つ手前(「ワイキキ」の市街地寄り)の停留所の側である。ここはハワイ大学カピオラニ校舎の最寄の停留所である。

ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) ルージャー要塞ハーロウ砲台(Battery Harlow) ハワイ大学カピオラニ校舎から道路を挟んで向かいに「砲台」が見える。(写真左)

ハワイ大学カピオラニ校舎の最寄の停留所(写真右)は、「ダイヤモンドヘッド」の最寄の停留所の隣であり、歩いて5分程である。「ダイヤモンドヘッド」に行くついでに立ち寄るのが良いだろう。

現在、「砲台」は柵で囲われており、内部は立ち入り禁止である。無断で立ち入ってはいけない。

ページ先頭に戻る

戦跡の歩き方TOP」へ戻る>> 「大東亜戦争遺跡」へ戻る>> 「ハワイ諸島」へ戻る>> 「オアフ島」へ戻る>> 「ダイヤモンドヘッド周辺

Copyright(C)悠久の沙羅双樹
inserted by FC2 system