カポレイ周辺

オアフ島

オアフ島の戦跡
大東亜戦争におけるオアフ島の歴史
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オアフ島の戦跡

オアフ島南部:カポレイ周辺

カポレイ周辺 カポレイ周辺

バレット要塞(Frot Barrette)
バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫
ハッチ砲台 西(Battery Hatch)
ハッチ砲台 東(Battery Hatch)

「バレット要塞(Frot Barrette)」

バレット要塞(Frot Barrette) バレット要塞(Frot Barrette) カポレイ地区に遺されているバレット要塞である。カポレイ地区は近年住民が多く流入し、急速に発展した町である。要塞西側は大きな公園として整備されている。(←)

バレット要塞には2門の16インチMk.2砲を装備したハッチ砲台があった。丘の上の砲台跡は公園からも見ることができる。(→)

バレット要塞(Frot Barrette) バレット要塞(Frot Barrette) 要塞は昭和6年(1931年)から昭和9年(1934年)にかけて建設された。竣工の翌年に沿岸砲台部隊に引き渡され、真珠湾の西側の守備を担当した。

要塞は現在フェンスで囲まれている。道路からも建物を見ることができる。(←)(→)

バレット要塞(Frot Barrette) バレット要塞(Frot Barrette) フェンスの外側にも当時の遺構らしきものが遺されている。(←)(→)

戦時中にはこの要塞周辺には司令部や兵舎、兵士用の娯楽施設などの軍関連建物がたくさん建てられていた。

バレット要塞(Frot Barrette) バレット要塞(Frot Barrette) この要塞は第二次世界大戦終結後の冷戦時代、Makakilo Hawaii National Guard Nike Herculesミサイル基地の補助施設として使われた。

現在この要塞跡はホノルル市の所有地となっており、地元のアーチェリー愛好会に施設の保存を条件にアーチェリー場として貸し出されている。(←)

場内には動物をかたどった標的がところどころに設置されている。(→)

「バレット要塞(Frot Barrette)」の歩き方

バレット要塞(Frot Barrette) バレット要塞(Frot Barrette) ワイキキ地区からはアラモアナセンターのバスターミナルからカントリーエクスプレスCに乗り、カポレイ・トランジットセンターへ。約1時間である。

カポレイ・トランジットセンターからHaumea St.を北東へ行くと、カポレイ地域公園(Kapolei Reagional Park)が前方に見えてくる。要塞は公園から見えており、入口は要塞北側にある。アーチェリー場として使われていないときは施錠されている。

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「バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫」

バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫 バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫 指揮所である。砲台からみて200〜300mほど内陸側に位置する。指揮所の上には観測所が設けられている。指揮所には砲術計算室や交換台などの部屋が設けられていた。(←)

指揮所の脇に観測所へ通じる階段がある。(→)

バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫 バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫 当時は砲台に射撃指示を送るための観測鏡や測距儀などが設置されていたことであろう。(←)

観測所へは錆びついた梯子がかけられている。扉は施錠されている。(→)

バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫 バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫 指揮所のすぐ近くのこの建物跡はかつて司令部であった。現在は屋根がなくなっており、壁のみが遺されている。(←)

司令部の横には兵舎だった建物が遺されている。(→)

「バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫」の歩き方

バレット要塞指揮所・兵舎・倉庫 入口から未舗装路を200mほど南へ行ったところである。

指揮所は道の右側にある。

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「ハッチ砲台 西(Battery Hatch)」

ハッチ砲台 西(Battery Hatch) ハッチ砲台 西(Battery Hatch) ハッチ砲台の西側の砲座である。砲座は元々無蓋の設計であったが、日本軍による真珠湾攻撃の後に天井が設けられた。(←)

砲座には砲を据え付けるための砲架であったと思われる円形の構造物が遺されている。(→)

ハッチ砲台 西(Battery Hatch) ハッチ砲台 西(Battery Hatch) ハッチ砲台に16インチMk 2砲が搬入されたときの写真である。巨大な砲がレールの上の台車に載せられて運ばれている。この砲は2トンの砲弾を45km先に撃ち出すことが可能であり、当時米海軍の戦艦が装備していた主砲よりも大きなクラスの砲であった。(←)

この砲座から南へ向くと海が見える。要塞は海岸線からは約3km内陸に位置する。海岸線のすぐ内側にBarbers Point飛行場があった。現在は軍民共用飛行場として運用されている。(→)

ハッチ砲台 西(Battery Hatch) ハッチ砲台 西(Battery Hatch) 砲座の前には3m四方程度のトーチカがあり、前方(海側)に銃眼がある。序盤の日本軍の快進撃に危機感を抱き、上陸戦に備えて建設されたものであろうか。(←)

内部は4、5人の兵士を収容できそうな大きさである。(→)

ハッチ砲台 西(Battery Hatch) ハッチ砲台 西(Battery Hatch) 砲座は後ろ側に2ヶ所の入口が設けられている。(←)

砲座とこれらの入口はレールが設置された回廊によってつながれている。(→)

真珠湾攻撃の際にこの要塞にいた陸軍の鉄道線路技術者のCaorporal Joseph Medlanが死亡したと記録されている。
真珠湾攻撃の第一波では43機の「零式艦上戦闘機(零戦)」が発進した。

ハッチ砲台 西(Battery Hatch) ハッチ砲台 西(Battery Hatch) このうち空母「蒼龍」と「飛龍」から発進した14機の「零戦」は要塞のすぐ南のBarbers Point Fieldを攻撃した。バレット要塞は日本軍の攻撃目標には入っていなかったが、死亡した技術者はこの攻撃に巻き込まれたのかも知れない。

上図のEntrance 1である。(←)

同じくEntrance 2である。(→)

「ハッチ砲台 西(Battery Hatch)」の歩き方

ハッチ砲台 西(Battery Hatch) 要塞南西側である。

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「ハッチ砲台 東(Battery Hatch)」

ハッチ砲台 東(Battery Hatch) ハッチ砲台 東(Battery Hatch) 東側にあるもう一つの砲座である。構造や配置は西側のものとほぼ同一である。(←)

同じくレールを備えた回廊があるが、フェンスの中は不法投棄されたゴミであふれている。(→)

ここに装備されていた12インチ砲は戦後の1948年に撤去された。

「ハッチ砲台 東(Battery Hatch)」の歩き方

ハッチ砲台 東(Battery Hatch) 要塞西側である。

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